反安倍が勝てないワケ 安倍談話の破壊力







「ポスト安倍」と目される石破茂地方創生相が新派閥を旗揚げした。
自民党内にくすぶる反安倍勢力にとっては追い風だが、「安倍一強」の牙城を崩すのは容易ではない。安保法制成立後も野党結集の動きや、若者によるデモが続いているとはいえ
「反安倍」がそれでも勝てないのにはワケがある。

メディアがひた隠しにする「安倍談話に秘められた破壊力」
『月刊 WiLL』 2015年10月号

情報統制と言っても過言ではない
今年の夏は世界史的に第二次世界大戦終了から七十年であり、日本でも戦後七十年が注目された。
しかし、いつまでも年中行事として〈戦後X年〉といい続けるのは日本だけで、このままでは
〈戦後八十八年〉とか、〈戦後百年〉とか言い出すに違いない。
いつまでも日本を、侵略戦争を行った敗戦国として属国の状態にしておきたい人々には
〈戦後X年〉という儀式が毎年必要とされる。
日本を永久に占領状態に置き、植民地のようにしておきたい勢力が国の内外を問わず
日本人に圧力を掛ける。
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実は、安倍談話はそんなシステムを木っ端微塵に破壊する力を秘めたものだった。
その突破口を開いたのはたしかだ。
にもかかわらず、そうした視点で報道したメディアは皆無に近い。
また、そのような解説ができる人が、特に地上波TVに出ることはほとんどない。
そういう人が存在しないのでなく、メディアが存在を隠すのである。
情報統制と言っても過言ではない。そんな恐ろしさを改めて感じた戦後七十年の夏だった。

過去の談話との比較
村山談話(1995年)、小泉談話(2005年)はいずれも、8月15日に閣議決定、発表されているが
安倍談話は8月14日に閣議決定、発表された。
15日の前日の14日に行った理由は15日に「おことば」を述べる天皇に配慮したものだと言われている。
字数は3000字を超え約1300字の村山談話、約1100字の小泉談話を大きく上回る量となっている。

過去の談話(村山談話・小泉談話)の「キーワード」とされていた「植民地支配」「侵略」
「痛切な反省」「おわび」
については、文言としては盛り込まれている。
しかし、「植民地支配」と「侵略」について、過去の談話では日本自身が行った行為として明示されていたのに対し、安倍談話では日本の行為との文脈では明確には触れられておらず、いずれも
一般論としての言及となっている。
「侵略」については戦後日本の不戦の誓いの形での言及であり、かつての日本の行為が
「侵略」であったと直接言及することも避けている。
また、「痛切な反省」と「おわび」についても、過去の談話を引用する形での言及にとどめ
首相自身の言葉としては語らず、首相自ら直接謝罪を表明することも避けている。
ただし、「歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」と表明している。

過去の談話等でなされてきた「おわび」等の「謝罪」については

あの戦争には何ら関わりのない私たちの子や孫
そしてその先の世代の子どもたちに
謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません


と言及した。
これには謝罪の繰り返しに歯止めをかけ、区切りをつける狙いがあるとされる。
この文言について首相周辺は、「『謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない』は大事なところ。
もうこれ以上、謝る必要はないんだよ」と発言、日本経済新聞も記事の中で
「『謝罪外交』に終止符を打つ意思を表明」とした。
(提供:ウィキペディア)

内閣総理大臣談話 (安倍談話・戦後70年談話) 2015
終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、 アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守 り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者 を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流 が生まれました。

当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大 きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、 その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

そして七十年前。日本は、敗戦しました。

戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼 熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによっ て、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみな らず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりま せん。

何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれ の人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまい りました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、 インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その 平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本 人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、 互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもた ちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりま せん。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代 へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの 国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重 し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国とし て、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そう した女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由 で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床とも なる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を 揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいり ます。

終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

平成二十七年八月十四日
内閣総理大臣  安倍 晋三
(提供:首相官邸サイト)

河野談話 1993年8月4日  慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話
いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。

今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。

なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。

いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。

われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。

なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。

村山談話 1995
先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。

敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。

平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。

いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
 
敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。 

小泉談話 2005
私は、終戦六十年を迎えるに当たり、改めて今私たちが享受している平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上にあることに思いを致し、二度と我が国が戦争への道を歩んではならないとの決意を新たにするものであります。

先の大戦では、三百万余の同胞が、祖国を思い、家族を案じつつ戦場に散り、戦禍に倒れ、あるいは、戦後遠い異郷の地に亡くなられています。

また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。

戦後我が国は、国民の不断の努力と多くの国々の支援により廃墟から立ち上がり、サンフランシスコ平和条約を受け入れて国際社会への復帰の第一歩を踏み出しました。いかなる問題も武力によらず平和的に解決するとの立場を貫き、ODAや国連平和維持活動などを通じて世界の平和と繁栄のため物的・人的両面から積極的に貢献してまいりました。

我が国の戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の六十年であります。

我が国にあっては、戦後生まれの世代が人口の七割を超えています。日本国民はひとしく、自らの体験や平和を志向する教育を通じて、国際平和を心から希求しています。今世界各地で青年海外協力隊などの多くの日本人が平和と人道支援のために活躍し、現地の人々から信頼と高い評価を受けています。また、アジア諸国との間でもかつてないほど経済、文化等幅広い分野での交流が深まっています。とりわけ一衣帯水の間にある中国や韓国をはじめとするアジア諸国とは、ともに手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指すことが必要だと考えます。過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたいと考えています。

国際社会は今、途上国の開発や貧困の克服、地球環境の保全、大量破壊兵器不拡散、テロの防止・根絶などかつては想像もできなかったような複雑かつ困難な課題に直面しています。我が国は、世界平和に貢献するために、不戦の誓いを堅持し、唯一の被爆国としての体験や戦後六十年の歩みを踏まえ、国際社会の責任ある一員としての役割を積極的に果たしていく考えです。

戦後六十年という節目のこの年に、平和を愛する我が国は、志を同じくするすべての国々とともに人類全体の平和と繁栄を実現するため全力を尽くすことを改めて表明いたします。

NHKスペシャルの「印象操作」
八月十五日のNHKスペシャルは「カラーでみる太平洋戦争」だった。20150815221428





最近、NHKはしばしばデジタル処理でモノクロフィルムを着色する。
カラー化されて何が見えてくるのかが、この番組の肝である。
では、何をNHKが云いたかったのか? 
カラー化されて悲惨な場面がより鮮明になる、実はこんなに惨たらしい現実があったと訴える。
戦争初期に日本軍が快進撃を続けたインドシナ半島の映像が着色されると、遺骨の木箱を白い布で
首から下げる多くの兵士たちが、戦車の上に立っていることが解る。

それに合わせて、これまでは解らなかった悲惨さが見えてきたかのようなナレーションが挿入される。

南方戦線の玉砕、本土空襲の被害も着色された。
日本軍の勇壮さを伝えるためのカラー化ではない。
「私たちが考えていた以上に悲惨だったんですよ」という意味を持たせるためのカラー化である。
作り手の想像力が貧困なのか、印象操作といわざるを得ない。

もし、ベトナムで米軍のナパーム弾による攻撃の悲惨さを強調するための映像が放映されたら
ベトナム人の眠っていた反米感情を喚び起こすかもしれない。
ところが、NHKスペシャルではただただ戦前の日本と日本軍の戦闘への嫌悪感、それこそ七十年前にNHKによって始められたGHQのWGIP(戦争罪悪観宣伝計画)
が遂行されるのである。

その証拠に、番組の冒頭、次のようなナレーションが入る。

「太平洋戦争を、当時、日本は大東亜戦争と呼んでいました」

では、現在の日本人が大東亜戦争と呼ばないのか? 
日本政府が閣議決定した「大東亜戦争」という言葉を敗戦後、真っ先に占領軍が禁止した。
日本人から戦争行為の主体性を削除するためだ。

NHKは占領軍の命令で、昭和二十年十二月九日から「太平洋戦争」の歴史を「眞相はかうだ」
という米国のプロパガンダ放送で連日放送した。
驚いたことに、敗戦七十年、占領終了後六十三年のいまでもNHKは同じ放送を行っている。

◆カラーでみる太平洋戦争


地団駄を踏んだ朝日新聞
閣議決定の重さは、「安倍談話」に顕著である。
朝日は八月十五日の社説で「出さない方が良かった」と地団駄を踏んだ。
これまでの二十年間、政府見解だった村山談話が安倍談話に上書きされるからだ
韓国メディアも、十八日以降、外務省のHPから村山談話に基づいた歴史問題Q&Aが削除されたと
騒ぎ出した。

談話の後半部の
自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し
その価値を共有する国々と手を携えて
いくという言葉は鋭い刃となってシナと南北朝鮮に向けられている。
安倍首相は今年の施政方針演説で、韓国には「同じ価値観を持つ」という言葉を使わず
三月には外務省HPの韓国へ言及した箇所から「基本的な価値を共有する」との文言を削除している。

談話の冒頭では、日露戦争がアジアの国々に勇気を与えたと言明したが、戦後の総理大臣で
わが国の戦争を歴史的にも正確に肯定的に評価したのは安倍首相が初めてである。

日本のメディアなら、まずそれらの事実をきちんと報道するのが責務のはずだが、そうしたメディアが極めて限られているのが、戦後七十年の現状である。
(提供:西村幸祐)

◆安倍晋三 70年談話・24分 その後・記者質疑【全42分】

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カテゴリ: ▣ 国防・戦争・政治
カテゴリ: ▣ 鮮害と除鮮=藤原氏・除中・除米

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