キリストの再臨『シメオン・トコ』











キリストの再臨シメオン・トコ
(シメオン・ゴンサルベス・トコ Simão Gonçalves Toko)

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預言者サイモン・キンバングーと救世主シメオン・トコの出現
封印された、ある黒人男の偉業
これから3回シリーズで紹介する話は、現地の人々にイエスの再臨と呼ばれた人物がアフリカに
存在していたことを報告するものである。
もちろん、そんな人物は過去に何人も注目されてきた。
また、特定の人物が世直しを行うのではなく、個々人がキリスト意識に目覚めることが真の
「イエスの再臨」だとする考えも広く浸透している。
だが、過去を振り返ると、筆者の知る限り、この人物ほど多くの人々を驚愕させ、熱烈に支持された
人物はいないとも思われる。
群集の目の前で堂々と数々の奇跡を行い、それらを目の当たりにしてきた証人たちが
今なお数千人ぐらいはいるかもしれない。

では、それだけ騒がれた人物をどうして我々は知らずにきたのかと読者は不思議がられることだろう。確かに、日本ばかりか諸外国のメディアがその人物に関して取り上げることはなかった。
また、その人物の活動は常に厳重に監視、妨害されてきた事実がある。
そして、何よりもその人物が現れた国は、紛争の絶えない辺境の発展途上国であり
マスコミも一般人もほぼ入国不可能だったことが挙げられる。

そのような国とは一体どこだろうか? 答えはアフリカのアンゴラである。
アフリカ大陸の南西岸に位置して、ザイール、ザンビア、ナミビアと国境を接している。
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以前は、コンゴ王国の一部であった場所で、遡ればポルトガルの植民地であった。
1956年アンゴラ解放人民軍(MPLA)が結成。
1962年にアンゴラ民族解放戦線(FNLA)が、1965年からは同戦線から分かれた
アンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)が結成された。
そして、長い闘争の末に1975年11月に独立を果たした。
しかし、その後3派の抗争は激化し、1977年にソ連の軍事援助とキューバ軍の直接支援を受けて
MPLAが内戦に勝利したものの、その後も動乱は続いた。FNLAは撤退し、MPLAは社会主義路線を
放棄し、ようやく2002年の休戦協定で平和が訪れた。
今でこそアンゴラはダイヤモンドや石油の輸出国として急速に経済成長しているが
最近まで外国人の入国は極めて困難な地であったのだ。

また、同じくかつてはコンゴ王国であった隣国ザイールに関しても触れねばならない。
ザイールはベルギーの植民地であったが、1960年に独立。
1971年から国名をコンゴからザイールに変えている。
これから紹介する話は、まさに植民地からの独立と内戦最中の出来事であり、主にアンゴラとコンゴ
を舞台として、ベルギー植民地政府、ポルトガル植民地政府という言葉が登場する。
また、15世紀以来、キリスト教各派の使節団が存在しており、改宗しなければ残忍な殺戮が行われた
とから、アフリカ人たちは強制的にキリスト教を受け入れざるを得なかった背景がある。
そのような状況で、植民地政府から派遣された宣教師や指導者ではなく、黒人指導者が自らの土地から現れたことの意味は大きいことをご理解頂きたい。

預言者サイモン・キンバングーが起こした奇跡
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まずは、イエスの再臨と呼ばれる人物がアンゴラに現れることを予言していた
預言者サイモン・キンバングー(1887-1951)について触れておきたい。
中央アフリカにおいては、非常に有名な預言者であり、現在でも彼のことを覚えている人々もいる。
キンバングーは、バプティスト会系キリスト教徒であり、植民地支配下のアフリカにおいては
初めての黒人宗教家・預言者として地元の黒人たちに圧倒的な支持を得た。

というのも、キンバングーは、歩けなかった人を歩けるようにさせ、眼の見えない人に視界を蘇らせ
口の利けない人に聴覚を蘇らせるなど、病人や障害者を癒す数々の奇跡を行ったからだ。
また、2、3日前に死んだ子どもたちを蘇らせる奇跡も起こした。
噂を聞いた多くの人々が遠方から病人を連れてキンバングーのところへやってきたが
キンバングーに出会える前に病の子どもを死なせてしまったケースもしばしばだった。
しかし、キンバングーは死んだ子どもたちに向かって

イエス・キリストの御名において、目を覚まし、起き上がりなさい!

と声を掛けると、瞬く間に死んだ子どもたちが次々と目を開いて立ち上がっていった。
これらの奇跡は1921年の5月から9月まで行われ、キンバングーに近づく事すら不可能と思われるぐらいの大群衆の前で行われた。
そのため、当時彼のことを研究した学者で、彼の奇跡に関して疑う者はいなかった。
単に、あまりにも多くの証言が有り過ぎたからだという。

迫害された預言者
1921年9月10日、キンバングーは人々の前で演説行った。
そこで、植民地政府が自分を逮捕し、「自分の肉体に長い沈黙の期間を課す」ことになると言った。
実際、その2日後、キンバングーは植民地政府に逮捕され、死刑判決を受けた。
ローマ教会も他のキリスト教使節団もその判決を支持した。
高名な学者アラン・アンダーソン博士によると、バプティスト使節団のみがその判決に抗議した。
そもそも彼は、5ヶ月間、村の人々を癒し、慰め、活力を与えただけであったからだ。
彼はキリスト教使節団にとって嫉妬の対象であり、動乱扇動の廉で捕まり、その刑罰は死であった。

キンバングーは、自ら「自分の肉体に長い沈黙の期間を課す」と予言したように、無期限で拘留され
死期が早まるよう、毎朝冷たい塩水の桶に体を漬けさせられた。
彼はまた、アフリカは「長期間酷い迫害に曝される」と予言していたが、その通り、その後40年間
恐ろしい宗教的迫害を受けることになった。
数十万人の人々が投獄・追放され、拷問に掛けられたり、改宗を余儀なくされたのだ。

人々に奇跡を与えてきた期間はわずかであったが、キンバングーはアフリカの英雄と称されるまでに
知れ渡り、彼のことを研究する学者たちは跡を絶たない。
今後も世界的に彼の評価・知名度は向上していくものと考えられている。

キンバングーは、1951年に死ぬまで30年間獄中で過ごした。
獄中から、自分の姉妹に送った手紙の中で、彼は次のように言っていた。

私が行ったことと同じことを行う若い男が北部アンゴラから現れるのを見たら
彼こそが主であることを悟るだろう


シメオン・トコ現る
1918年2月24日、アンゴラ北部で1人の男の子が誕生した。
その男の子が、のちにキンバングーの後継者となり、イエスの再臨とも称されることになる
シメオン・トコである。
1872年から1921年の約50年間、その地域は、長引く旱魃(かんばつ)と、天然痘・腸チフス
マラリア等の伝染病が猛威を振るっており、多くの人々が命を失っていった。
そんな状況の中、トコは誕生した。

トコが生まれてまもなく、アンゴラに来ていたバプティスト宣教師協会の宣教師が、ある夢を見た。
それは、自分の管轄内で偉大な王が生まれたことを示す夢であった。
それで、彼はその赤子を探しに行く決心をした。
そして、彼は聖霊の指示に従い、トコを見つけ出した。
だが、あまりにも痛々しく、弱々しい小さな顔を見て、彼は首を横に振った。
彼は一つ二つ質問をして、悪夢に襲われただけだと感じて、その場を立ち去ったという。

1949年シメオン・トコはレオポルドビルで行われたプロテスタント国際会議に参加した。
このイベントにおいて、式典のマスターは、アンゴラからやってきた3人のアフリカ人に祈りを捧げるように求めた。
その3人の中にシメオン・トコが含まれており、彼は、植民者によるアフリカでの圧制が終わるよう
聖霊が人々の前に現れることを祈った。

トコは、イタガのバプティスト教会の専属メンバーとなった。彼は12人で構成する聖歌隊を作った。
その聖歌隊はすぐに有名となり、数百人ものメンバーを抱えるようになった。
どこの教会に出掛けて歌っても、物凄い力で聖霊が現れ、白人宣教師たちは若いトコが
黒魔術を操ると疑った。
そして、妬みから、宣教師たちはトコを呼んで、魔術を使わぬように忠告した。
すると、トコは次のように答えた。

しかし、もし私たちが同じ神に祈るのなら、どうして私が祈る時に聖霊が現れることに対して
あなた方は私を魔術の廉で責めるのですか? 
それは、祈りが叶えられる筈がないアフリカ人だからですか? 
聖霊はアフリカ人に対しても差別するのでしょうか?

結局、宣教師たちは教会からトコを破門することにした。
ところが、トコを支持する教会員たちは皆こぞって教会を辞めてしまいトコに付いて行くことにした。トコは悩んだが、いずれにしても厳しい将来が待ち受けていることに変わりはないと考え
彼らと伴に行動することに決めた。
過去3年間捧げてきた祈りを繰り返し、彼は再び主へ祈りを捧げることを決意したのだ。
そして、数々の驚くべき奇跡を起していくことになったのである……。
2話へ続く
(提供:トカナ)

シメオン・トコは3度殺されても生き返った
イエス・キリストどころの騒ぎではない
こんな聖者が近代に現れたのだから宗教利権にたかる肥えたハエは黙って見過ごすはずはない
ただ何度殺しても生き返るのだ・・・・・・・・・
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カテゴリ: 神々・神社・神殿・神仏・古神道

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