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奇しくも去年BSのWOWOW山崎豊子沈まぬ太陽というドラマが放映され話題になりました。
と同時に事故があった8月でもないのにCSでは30年以上も経った今
JAL123便墜関連のドキュメンタリーが続々と放映され内心奇妙にも感じていました。
WOWOWW6を示す数字であることから数字好きなアメリカの関与があったりして・・・
とか
123は足すと6になることや8/12は足すと11になるとこからやはりアメリカがらみの
陰謀ではないかとさえ感じていましたが、いやいやまさか・・・
とも思いドラマに感銘を受けつつも調べるきっかけになったのです。
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私はドラマも
ドキュメンタリーも全て観ましたが米国と日本の責任の擦り合い程度に感じ
偶然とはいえ本当に痛ましく悲しい事故だったと思っていました。
でも今はアメリカが作らせたやらせのドラマだったことに気が付き怒りを禁じ得ません。
今日は心からの追悼の意を込めて調べた情報を掲載します。

日本航空123便墜落事故は1985年(昭和60年)8月12日月曜日18時56分に、東京(羽田)発
大阪(伊丹)行同社定期123便ボーイング747SR-100(機体記号JA8119、製造番号20783[1])が
群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(御巣鷹の尾根)に墜落した航空事故である。
(提供:ウィキペディア)



彼等は無残にも毒ガスで息の根を止められたり
火炎放射器で生きたまま焼かれた
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国家機密を守るため、特殊部隊が編成され事故処理にあたった。
123便の乗客、乗務員はこの者達の手にかけられ、処分された。
殺人鬼が迫って来る瞬間、彼等は一体何を思ったのだろうか?


待機命令を無視して救助に行こうとした隊員を 射殺

NHKアナ「ただいま長野県警から入った情報です。
現地に救助に 向かった自衛隊員数名が、何者かに銃撃され死者負傷者数名が出ている模様です。

 
経済が危機的状況下にあるアメリカがしかけたテロ

「富士山を噴火させるぞ!」
「日本を海の底に、沈めるぞ!」
またアメリカは、「年次改革要望書」という形で、毎年、日本に資金を要求しており
大臣や、官僚の人事にまで、口を出しています。
これにあわてた中曽根は、40日後の昭和60年9月21日に、プラザ合意をしたのです。
そして、1ドルが、250円に決まったのです。
皆さんもご存知の通り中曽根のアメリカへの加担は枚挙にいとまがありません。
JAL事件以外にも日本国民を売ってきた売国奴です。
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また米軍がグアムに移転するのに18兆円必要だったのですが、日本が拒否して半年くらいしたころに
山手線の高田馬場と目白の区間で、レールが二本大きく曲がっていたのです。
それを朝一番でレールを点検していた者が発見しました。
3日後に日本政府は、18兆円の捻出を決定しました。
レール2本で、18兆円です。
また鹿児島でも、沖縄のP3C対潜水艦哨戒機の基地を、鹿屋に移せと米軍が言ってきましたが
日本政府が拒否したところ鹿屋基地の前で、指宿に行く、トッピーいう船の水中翼船の
後ろの羽根にアメリカの潜水艦が、火薬の抜いてある魚雷を衝突させました。
またかと、あわてた日本政府は3日後に、鹿屋基地移転を認めたのです!

このようなことは、枚挙にいとまがありません。
だからアメリカは、日本は脅せば何でも「はい、はい!」と言うと思っていますから
要求が、だんだんエスカレートして過激になるのです。
日本は、アメリカの準植民地ですから、従っている限り潰してしまうことはありません。
(提供:http://ameblo.jp/64152966/entry-12188961780.html)

                           
1985年(昭和60年)8月12日月曜日18時56分に、東京(羽田)発大阪(伊丹)
行同社定期JAL123便が、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根に墜落した。


JAL123便は墜落事故などではなく撃墜事件

皆さんも既にご存知のとおりアメリカが撃墜したイラン航空655便撃墜事件は有名です。
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JAL123便もアメリカによる撃墜された事故だったことを検証してみましょう。

日本航空による22時の広報では「御座山北斜面」、運輸省は事故現場の
緯度経度(北緯36度2分、東経138度41分)のほかに「長野県南佐久郡御座山北斜面」
朝日新聞では防衛庁からとして「現場は長野県の御座山北斜面」などの誤報が繰り返えされ
これらの情報で地上からの捜索は混乱しました

消防・警察や災害派遣要請によって出動した航空自衛隊の地上捜索隊、陸上自衛隊の各捜索隊は
翌13日の朝まで現場に到達することはできませんでした。


 

 

 

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「スコーク77」は聞き取れまが「スコーク77」は緊急事態時にしか使いません。

事故調査委員会が「オールエンジン」としたのは違うのではないのでしょうか。

元パイロットや専門家も「オールエンジン」という言葉は航空業界では絶対使わないと述べています。
「オールギア」か「オレンジや」「オレンジエア」と聞こえるのです。
「オレンジエア」とは海上自衛隊の隠語で誘導ミサイルや無人標的機のことです。
機長は海上自衛隊出身です。

日航123便の残骸について1985年9月20日号の『週間ポスト』の記事にこうあります。
「この金属片には白い塗装と赤がかったオレンジ色の塗装が地上を引きずったようについている。
そして不思議なことに、これには1か所に集められた日航機の他の残骸と違い
機体の位置を示す荷札もついていない。
当初は後部胴体の外板の一部かもしれないと思ったが
日航機はオレンジ色を使用していないという。」

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実戦ではない演習用の無人標的機にはオレンジ色の塗装を施します。


謎の飛行物体を操縦クルーが視認した18時18分時点の飛行機の高度は
1万1300フィート(3440m)なのですが、謎の飛行物体が尾翼に衝突した
18時24分35秒時点の高度は、2万3900フィート(7170メートル)で
6分間に1万2600フィート(3780m)も上昇しています。


何かが飛んできて偶然にぶつかったという状況ではなく、その飛行物体は飛行機を
追尾している
のです。

このことから考えると、謎の飛行物体は巡航ミサイルであるといえます。
標的が、どのように高度を変えても標的を追い詰めて標的の後ろに回ろうとします。
その結果がJAL123便の垂直尾翼破壊だったのです。

最初謎の飛行物体は、コックピットの右サイドで視認されています。
つまり、JAL123便よりも前の方を飛んでいたことになります。
そのあと、飛行機の右後ろに回り、そこから垂直尾翼に衝突しているのです。
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座席中央部分の最後部から5番目に座っていた小川哲氏は、尾翼が吹き飛ぶ6分前
飛行機の窓から123便を追尾するように飛行してくる物体に気がつき、カメラに収めています。

JAL123便の遺品の写真は、1990年10月14日付の『朝日新聞』朝刊一面に掲載されました。

事故調査委員会が公表したような内部隔壁の破損が先に起こったのではなく
尾翼が何かとの衝突で破壊されたことが先です。

JAL123便の垂直尾翼はその70%が見つかっていません。

航空評論家の関川栄一郎は、誘導ミサイルの精度を確認する無人標的機ではないかと述べています。
無人標的機が飛んでいるのは、不可能と考えられています。
無人標的機を運用できるのは自衛隊の訓練支援艦という専用の艦で
当時は訓練支援艦「あずま」だけです。

事故当日、あずまは相模湾ではなく遠く離れた広島県の母港の呉にいました。

当時の新型護衛艦「まつゆき」が、JAL123便の事故当日は相模湾にいました。
事故の連絡を受けて相模湾内の捜索にも協力しています。
この「まつゆき」が犯人なのかというとやはりそれはありえません。
海上公試中であり自衛隊に引き渡されていない「まつゆき」が武装していたはずがない
と思われています。

しかし、極秘テストの可能性もあります。

JAL123便事故調査報告書(87年6月19日発表)では、その推定原因を
「修理ミスが原因で、飛行中に後部圧力隔壁が客室与圧に耐えられなくなって破壊し
客室内与圧空気の圧力によって尾部胴体、垂直尾翼が破壊され、油圧系統も破壊され
操縦不能となり墜落した」としています。


異常発生後の機内後部を撮影していた写真が、時効成立後に警察から遺族に返還され
新聞でも報道されましたが、ホコリや雑誌、荷物類などが散乱した様子は見られず
乗客も比較的落ち着いた様子がうかがえます。

事故1年後には新聞で報道された機内を撮影した写真は、なぜか航空事故調査委員会は
その存在を認めませんでした。


事故後15年たってマスコミに流出したボイスレコーダーは
専門家は「こんなことはありえない」と言います。

元日本航空パイロットの藤田日出男によると、パイロットたちはボイスレコーダーの声の音質から
判断すると、あきらかに酸素マスクをつけておらず、その場合、事故当時の航度では
低酸素症になってしまうため気を失う可能性すらあり、長時間マスクを着けず
正常な飛行運転行動を行うことはできないと言うのです。

圧力隔壁が原因の事故だったのか疑問が出るのです。

圧力隔壁が破壊され尾翼が吹き飛べば、機内の空気は一気に後ろへと流れ出し急減圧が起こり
機体後部の座席は空中に吸い出されるほどの衝撃があるはずです。

こんなに落ち着いていられる時間が一瞬でもあるとは思えないのです。

低酸素症の調査については、事故からおよそ1年後の1986年7月陸上自衛隊東立川駐屯地にて
航空自衛隊航空医学実験隊による正式な調査が行われています。

当時の状況を再現しても著しい脳障害は見られないという発表をしています。
しかし、ノースダコタ大学など別の研究チームの発表では、当時の状況を再現した結果
著しい脳障害が見られたと発表がありました。


日本航空機関士会の会員10名は1986年11月に航空自衛隊航空医学実験隊を見学し
「緊急時における人間の行動について」の講演に参加したのち低酸素症実験と急減圧実験を
見学しています。

参加者の1人は同会の会報(1987年1月)の中で、次のように述べています。
「もっとも印象に残ったことは、雑談の中で聞いた日航事故を想定して
客室高度650フィートを7~8秒かけて24200フィートに急減圧した実験で
今まで経験したことがないほど肺から空気が吸い出され、すぐに周りが暗くなり(低酸素症)
思わず酸素を吸ったという話でした。」


生存者のアシスタントパーサー落合由美の証言では、事故調査報委員会のいう急減圧では
ないかもしれませんが急減圧はあったと、次のように述べています。

「そろそろ水平飛行に移るかなというとき、『パ-ン』という、かなり大きい音がしました。
テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音音は
私のちょっとうしろの天井のあたりからしたように感じましたが
そこだけでなく全体的に広がったように思います。

私は思わず天井を見上げました。
しかし、振動はまったく感じませんでした。機体も揺れなかった。
お客様からは、『うわっ』という声がした。
女の人だと、『きゃっ』という、一瞬、喉に詰まったような声。
騒がしくなるとか、悲鳴があがるということはありませんでした。
耳は,痛くなるほどではなく、ツンと詰まった感じでした。
ちょうどエレベーターに乗ったときのような感じ。
しかし、それもすぐに直りました。
『パーン』という音とほとんど同時に、酸素マスクが自動的に落ちてきた。……
急減圧のとき、酸素マスクがおちてくることは、もちろん知っていました。
急減圧は何かがぶつかったり、衝撃があって機体が壊れたときに起きると教わっていましたから
そういうことが起きたのだなと考えたのです。

しかし、何が起きたのか想像もつきませんでした。
酸素マスクが落ちてくる光景は訓練では見ていますが、実際に経験するのはもちろん
これがはじめてでした。

やはり『パーン』という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。
かなり濃くて前のほうがうっすらとしか見えないほどです。
私の席のすぐ前は、それほど濃くはなかったのですが、もっと前の座席番号
『47』『48』辺りの所が濃かったように見えました。

ふと見ると、前方スクリーンの左側通路にスチュワーデスが立っていたのですが
その姿がボヤ-ッと見えるだけでした。

その霧のようなものは、数秒で消えました。
酸素マスクをして、ぱっと見たときには、もうありませんでした。
白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした。
すっと消えた、という感じだったのです。」
(提供:佐藤 昭信・末日聖徒イエス・キリスト教会 編纂:武井 泄月袴)
下記記事へ続く
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