img_4


















数ある神社の中で、八幡宮は稲荷神社に次いで2番目に多い神社です。
八幡宮は、八幡神を祭神とする神社で八幡神社、八幡社、八幡さまとも表記・呼称されます。
全国に約44,000社あり大分県宇佐市の宇佐神宮を総本社としています。
 
八幡神(やはたのかみ、はちまんしん)は、日本で信仰される神で、清和源氏、桓武平氏など
全国の武家から武運の神(武神)「弓矢八幡」として崇敬を集めました。
誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされます。
また早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)とも称され
神社内に神宮寺が作られました。
 
今日はそんな日本に数多い八幡宮についてみていきましょう。
 
八幡神をまつった神社は「八幡神社」であり、八幡神社の総本山といえば
大分県宇佐市の「宇佐八幡宮」です。 
img8313d397zik0zj














宇佐八幡宮の神職は、古来より「宇佐氏(うさし)」「大神氏(おおがし)」
「辛嶋氏(からしまし)」の三氏が担ってきたといいます。
これら三氏のうち、もっとも古いのは「辛嶋氏」です。
宇佐八幡宮に関してもっとも古い資料の814年に記された「太政官符(だいじょうかんぷ)」には
こう記されています。 
「八幡大神が鷹の姿をして現れた。ところが御心が大変荒々しかった。
人が5人行けば3人を殺し、10人行けば5人を殺した。
崇峻天皇の時代、辛嶋勝乙目(からしまのすぐりおとめ)が3年間祈祷して、御心を和らげ
官柱を立てて斉敬した。八幡神が鷹の姿をして現われたところから、神社の名前を
『鷹居社』と名づけた。そこで、祝(はふり)に辛嶋勝乙目禰宜(ねぎ)には
辛嶋勝意布売
(からしまのすぐりおふめ)がなったと言う」
 
ここから、宇佐八幡宮において、八幡神を一番最初にまつったのは
「辛嶋氏」であることが分かりますが辛嶋氏は「秦氏」です。

秦氏については後日紹介しますが少しだけみてみましょう。
03f79f8eb6c549e183da7a33580b2267




















秦氏(はたうじ)は、「秦」を氏の名とする氏族。東漢氏などと並び有力な渡来系氏族で
著名人物に飛鳥時代の秦 河勝(はた の かわかつ)がいる。
氏神は境内には珍しい三柱鳥居があることで知られる木嶋坐天照御魂神社である。
※漢字破字法で分解するとは 三+人+ノ+木(木 = 十+人 ⇒ イエス・キリスト ⇒ 神)

話をもとに戻しましょう。
八幡宮発祥の地である九州の東北部の宇佐一帯は、かつて豊国(とよのくに)とよばれました。
実際、豊国には多数の秦氏が住んでいました。
戸籍には「〇〇勝」と称した者が多数いて、「勝部(かつべ)」ともよばれる人々は
「秦部(はたべ)」であり、秦氏の下にいた人々です。

唐の使者「斐世清(はいせいせい)」は豊国にやって来て、ここを「秦王国」とよび
中国のような高度な文化が花開いているが、その理由は詳らかではないと語っている
と紀元7世紀の『隋書倭国伝(ずいしょわこくでん)』に記されています。
豊国の文化の担い手は、秦朝から流れて来た東ユダヤ人とローマ帝国から来た
ユダヤ人原始キリスト教徒との秦氏です。
あまりにも秦氏が多いので、中国人は思わず秦王国と呼んでしまったのです。

豊国一帯にはいたる所に八幡宮があり、八幡神社の総本宮「宇佐八幡宮」は
秦氏の支族、辛嶋氏の創建です。
大分県宇佐市の「宇佐八幡宮」は八幡宮の総本山ですが、もともとここにあったのではありません。
原始八幡信仰は、大分県宇佐市のほかの地にありました。
その1つが、福岡県築上郡の「金富神社(きんとみじんじゃ)」です。
この神社はかつて「矢幡八幡宮(やはたたちまんぐう)」と称しており、創建当初は単に
「やはた」とよばれていたと伝えられ、宇佐八幡宮以前の元の八幡宮でした。
そして、宇佐八幡宮の本社より奥にある神社奥宮は、背後にそびえる
「御許山(おもとさん)」の山頂に鎮座する「大元神社(おおもとじんじゃ)」です。
このほかに福岡県田川郡の古宮八幡宮(こみやはちまんぐう)や
福岡県田川郡の香原(かわら)神社もかつて八幡神社で元宇佐した。

八幡神の移動は、そのまま八幡宮の移動です。
宇佐に鎮座する以前、八幡宮は各地を転々としています。
かつて八幡神と表現された契約の箱がいた場所には、八幡宮が建立されています。
これら元宇佐八幡宮は今でこそ八幡宮が建っていますが、古記録には
社殿がなかったと記されています。
 
元宇佐とは、宇佐八幡宮が、現在地へうつる以前に一時的にせよまつられた神社です。
八幡宮移動式の神殿「幕屋」だったのです。 
c0193512_10494359



















Wikipediaにも聖書に登場する移動式の神殿とあります。※幕屋で地図検索してみると面白いです。
12-kolen




















これはイスラエル12部族の幕屋です。

元宇佐のすべてが八幡宮を名乗っているのではなく、大元神社のように
表立って八幡宮を冠しない神社もあります。
香春神社には、古より伝わる絵図がいくつかあり幕屋が描かれています。
八幡神の移動とは幕屋の移動であり、幕屋があった場所に八幡宮が建立されたのです。
さらに、幕屋が存在すれば契約の箱もあります。
九州を動き回った契約の箱は、最後には大分県宇佐市の宇佐八幡宮に落ち着きました。
 
「契約の箱」は日本で「本神輿」ともよばれます。
福岡県にある元宇佐の年毛(としも)神社の関係者は、こう語ります。
「現在、本神輿は宇佐八幡宮にはありません。宇佐八幡宮から伊勢へと移されました

紀元761年、女性だった孝謙(こうけん)上皇(天皇が生前に位を退かれると
『太上天皇』略して『上皇』の尊称でよばれます)は、近江国(滋賀県)の
保良宮(ほらのみや)に移っていたとき、にわかに体調を崩して寝込んでしまいました。
そのとき、悪僧の道鏡(どうきょう)という俗物僧侶が祈祷を上げたため孝謙上皇の健康が
回復したとされ、そののちに上皇の恩を逆手にとり取り入った道鏡は
一挙に権力への階段を駆け上がることになります。
 
第47代淳仁(じゅんにん)天皇の淡路への島流しで、孝謙上皇が再び天皇陛下の座に就き
第48代の称徳(しょうとく)天皇になりました。
そして、次に道鏡は天皇陛下の地位を狙おうと画策するのです。
淳仁天皇側だった藤原仲麻麿(ふじわらのなかまろ)への風当たりは強く最後は反乱を
起こしたところを、越前国(えちぜんのくに)で討たれてしまいます。
 
紀元769年、増長した道鏡は、福岡県西部の大宰府(だざいふ)で九州の神社を司っていた
中臣習宜阿曽麻呂(なかとみのすげのあそんあそまろ)に命じ、自分を天皇陛下にせよと
大分県宇佐市の宇佐八幡宮の宇佐八幡神が神託したといわせたのです。
しかし、宮中で大問題になり、和気清麻呂(わけのきよまろ)を宇佐八幡宮に派遣し
八幡神からの御神託を確かめさせました。
すると、八幡神は「臣下で天皇の地位を狙う者は賊としてただちに追い払え」と告げたため
その御神託を持った和気清麻呂はただちに宮中で報告したのです。
道鏡は、その報告を聞くや怒りはじめ和気清麻呂を鹿児島に流し途中で殺そうとしますが
失敗してしまいます。
そして、紀元770年、第48代称徳(しょうとく)天皇が死去するや
第49代光仁(こうにん)天皇は称徳天皇によって混乱した政治の立て直しを図り
道鏡は失脚し栃木県へ追い払われてしまいます。
 
そして、称徳天皇によって島流しにされた和気清麻呂を都へ呼び戻しました。
宇佐八幡宮に出向いた和気清麻呂は、のちに第50代垣武(かんむ)天皇を鹿狩りに連れ出し
平安京遷都を進言した人物です。
和気清麻呂は、出生が秦氏の重要拠点の1つがあった岡山県美作(みまさか)国で
平安遷都に大きくかかわる秦氏の山背派の重要メンバーでもありました。

このときに、大分県宇佐市の宇佐八幡宮に契約の箱がありました。
宇佐八幡宮に契約の箱があったからこそ、御神託は下ったのでしょう。


八幡 = ユダヤ
「八幡」
とは「ハチマン」「ヤワタ」と読んだりしますが、「ヤハタ」が本来の読み方です。
「八坂神社」の「八坂(ヤサカ)」を「弥栄(イヤサカ)」と言ったりしますが
同様に「八幡(ヤハタ)」を「弥秦(イヤハタ)」といいます。 
「弥秦」に「秦」が含まれています。
「八幡」の語源こそ「弥秦」であり、秦氏の名称でもあります。

平安時代(紀元794年‐1185年)の神道資料『古語拾遺(こごしゅうい)』には
秦氏の名の由来が「秦の字を訓みて、これを波陀(はだ)と謂ふ(言う)」とあります。
秦(はた)氏は、もともと「ハダ氏」であったのです。
秦氏の発音が正確には「ハダ」氏だったので、弥秦は「イエハダ」です。

原始キリスト教団が話していたアラム語で、「ユダヤ」は「イエフダー」です。

イエフダー (ユダヤ) → イヤハダ = ヤハタ(八幡) = 弥秦 → 秦氏
 
言語学上、ヤ行とア行の母音は欠落しやすく「イヤ」は変化しやすく欠落しやすいのです。
したがって「イエフダー」は「フダー」となり「イヤハダ」は「ハダ」となり
「ハダ」は「秦(ハタ)氏」になります。
つまり「秦氏」、「八幡」とは、「ユダヤ」なのです。
「八幡神」とは「ユダヤ神」となり、その正体はイエス・キリストです。

「宇佐」という地名は『古事記』にも登場するほど古く語源は不明ですが
『旧約聖書』にあるのです。
ペリシテ人に奪われていた契約の箱が返還されたとき、一時アビナダブの家に置かれました。
彼は、契約の箱を扱える祭司ではありませんでした。
それゆえ、ダビデ王が運びだす際、契約の箱を牛の背に乗せそばに、アビナダブの息子ウザ
付き添いました。
そのとき、事件が起こったのです。

彼らがナコンの打ち場にきた時、ウザは神の箱に手を伸べて、それを押えた。
牛がつまずいたからである。 
すると主はウザに向かって怒りを発し、彼が手を箱に伸べたので、彼をその場で撃たれた。
彼は神の箱のかたわらで死んだ。 
主がウザを撃たれたので、ダビデは怒った。
その所は今日までペレヅ・ウザと呼ばれている。 (サムエル下 6:6-8)
 
「ウザ」と「ウサ」で音が濁るかどうかの違いです。
今でこそ濁る字には濁点を付けていますが、古代において濁る字には濁点を付ける習慣はなく
「ウザ」も「ウサ」と表記したのです。
宇佐の地名は「ウザ」にちなんで命名された可能性があるのです。                 
(提供:佐藤 昭信・末日聖徒イエス・キリスト教会 編纂:武井 泄月袴)

全国に44,000以上あるとされている日本で第2位の八幡宮はの祭神はイエス・キリスト
私達日本人が日本神道として拝してきた宗教は原始キリスト教だった のです。
fusimiinaritaisya300200200
eca28038200695d028f85934135b307c577a5a4f3200









                                           
                                       
[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

能ある猫は爪をかくす Tシャツ
価格:3500円(税込、送料別) (2017/8/4時点)