777



















日本のエルサレム「平安京」
heian












平安京は、京都市に造営されたかつての都の名称です。
奈良盆地南部の藤原京(694年‐710年)、奈良盆地北部の平城京(710年‐784年)
京都盆地南西部の長岡京(784年‐794年)ののち、桓武天皇は都を平安京に移します。

奈良の都の平城京から遷都すると決断したのは桓武天皇でした。
桓武天皇はそれまでの天武天皇系ではなく天智天皇系の血を引き、母は百済人が先祖の
高野新笠(たかののにいがさ)でした。
天武天皇系の政治家が権力を握っていた状況の中、遷都が新たな権力基盤を作るうえで
有効な手段であったのでしょう。
そこには崇りとも思われる現象や異常気象が重なり、それが動機づけの一因にもなったのでしょう。 

専制政治とはいえ天皇陛下の意志だけで遷都は不可能です。
実質的な発案者と黒幕はほかにいます。
当時、天皇家を裏で操っていたのは忌部氏の末裔である藤原氏です。

Kamatari
秦河勝(はたのかわかつ)の子の中臣鎌足(なかとみのかまたり)は、死の直前に藤原姓をもらい藤原氏の始祖になりました。
中臣鎌足(藤原鎌足)とその子の藤原不比等は天皇家と婚姻関係を結ぶことで政治基盤を強くし、藤原氏は外戚として権力を握っていましたが、遷都することでまだ残る旧勢力を一掃しようとした可能性は高いです。
遷都の計画を進めていたのが秦氏であり、藤原氏は山背派ともいうべき勢力を形成しますが、山背派の系図は奈良時代末期ごろに秦氏の名前が散見されます。


まず平安京遷都の前に長岡京が造営されます。
長岡京および平安京造営のトップが秦氏で実務を行った役人には秦氏が多くいます。
平城京からうつった長岡京および平安京は、いずれも山背国(山城国)にあります。
svg

古代においては「山代」平安京遷都後には「山城」とも表記され、三方が山に囲まれています。
北方からは桂川や賀茂川、葛野川が流れ、かつて京都盆地は広大な湿地帯でした。
今でもその地下には膨大な水が流れており、これが伏見辺りで噴出し宇治川へと流れていきます。
伏見とは元々は伏水と書き、伏流水を意味していました。
都がうつってくる以前、ここは何筋もの川が氾濫を繰り返し人が住むにはあまり適さない土地でした。
こうした状況を秦氏は進んだ土木技術の治水工事で整備しました。


秦氏が渡来後の紀元4世紀ごろから突然古墳は巨大化し、300mを超える前方後円墳が
建造されるのはこのためです。
京都盆地の土地改良に当たっては、まずは嵐山に葛野大堰を建造し、桂川から水を東へと引きます。
氾濫を繰り返す賀茂川は、川の流れを変えて完壁な護岸工事を施して土地の水分調整を行うとともに
湿地帯には薄くアルカリ性の土を何層にも敷き、徐々に乾燥させていく高度な手法が使用されました。
こうして造営されたのが平安京なのです。
平安京の土地の多くは秦氏の持ちものでしたが、中でも内裏が置かれた場所は秦氏の長の
秦河勝の邸宅のあった土地です。

都を平安京とよんだのは秦氏です。 
平安京の名前は、エルサレムと同じ意味です。
エルサレム(エル・シャローム)は、ヘブル語で、「神の平安の町」を意味し「平安京」と同じです。
214f0215












現在の京都の市街地は、碁盤の目のように区画整理されています。
これは基本的に平安京の構造が残っているためです。
平安京は東西南北にラインを合わせた南北に長い長方形をしています。
長方形の中に、東西8条、南北9とおりの道が直線に敷設され、長方形の区画が立ち並びます。
通りと条理がはっきりしているため平安京は座標のようなものなのです。
通りと条理がわかれば、どこに位置しているのかほぼ特定できます。
b141bd40



平安京の都市設計はきわめて合理的です。 
日本において、このような都市設計を行ったのは奈良時代に始まり、全体が長方形ではないですが
通りと条理で区画整理された都は藤原京が初めてです。
svg



























続く平城京が規模の意味でも本格的な城都として評価されています。
平城京の都市設計は天平時代、遣唐使によってもたらされた中国の知識によって唐の都の長安が
モデルになりデザインされました。
長安の都市設計は、長方形の輪郭に通りと条里が設けられ、まさに碁盤の目のようになっており
1つの区画もまた長方形をしています。
 
平安京の北辺には宮城である平安宮(大内裏)があり、その内部の中央東寄りに南北約300m
東西約200mの内裏が存在しました。(画像ピンクの部分) 
「大内裏」は正確に東西南北を示しています。
つまり地の四方を具象化していました。
これは四面の顔を持った神の玉座メルカバーを表現します。
中央に神がいて、その周りの四方に、4つの獣がいる神の御座をメルカバーといいます。

黙示 4:5-6
御座からは、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴とが、発していた。
また、七つのともし火が、御座の前で燃えていた。
これらは、神の七つの霊である。
御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。
御座のそば近くそのまわりには四つの生き物がいたが、その前にも後にも、一面に目がついていた。
 
ヨハネは、御座の前に「七つのともし火」があったと記しています。
それを「七つの霊」とも記していますが、もっとも清い聖数「7」である7つのともし火は
7つの純金の燭台であり、7つの霊とは神の7人の僕を示しています。

また、ヨハネは御座の前に水晶のような「ガラスの海」が広がっているとも述べています。
「最後の裁き」のあと、地球も復活しガラスの海のような日の栄えの身体になり
日の栄えの王国に移動します。

教義 130:8-11
神が住んでおられる所は、一つの雄大な「ウリムとトンミム」である。
この地球は、聖められて不滅の状態になると、水晶のようになり、そこに住む者たちにとって
一つの「ウリムとトンミム」になる。
そして、これによって下位の王国、すなわち低位のすべての王国に関するすべてのことが
そこに住む者たちに明らかにされる。
また、この地球はキリストのものとなる。
そのとき、黙示録第二章十七節に述べられている白い石は、それを受ける各個人にとって一つの
「ウリムとトンミム」になる。
そして、これによって高位の王国に関することが知らされる。
日の栄えの王国に来る各人に一つの白い石が与えられる。
その石の上には新しい名前が記されており、それを受ける者のほかにはだれもそれを知らない。
その新しい名前は鍵の言葉である。

問い。黙示録第四章六節でヨハネにより述べられているガラスの海とは何か。
答え。それは聖められた、不滅かつ永遠の状態にある地球である。

ガラスの海とは、汚れのない水晶のような世界を示唆する比喩で、すべてが終わった状態
を示しています。
隅々まで光が行き届いた状態ですべてがクリアになった地球、この世が役目を終え
終焉した姿なのです。

ガラスの海が出現するのは、物質がすべて超高熱のプラズマの火で焼き尽くされたあとです。

御座に座る神は、光であるプラズマを支配する存在です。
神の体は、超高エネルギーの日の栄えの栄光を生じさせ、永久ではなく時間をも超越する
永遠の体であり、視覚的に表すと白く発光する神の姿となります。

問い。同じ節の中で述べられている四つの生き物によって、わたしたちは何を理解すべきか。
答え。それらは黙示者ヨハネが神のパラダイスである天、および人と獣と這うものと
空の鳥の幸福を描写するのに用いた比喩的な表現である。
霊のものは現世のものの形であり、現世のものは霊のものの形である。
人間の霊はその体の形であり、また獣の霊、および神が創造されたほかのあらゆる
生き物の霊も同様である。

問い。それらの生き物が持っていた目と翼によって、わたしたちは何を理解すべきか。
答え。それらの目は、光と知識の表れである。すなわち、それらは知識に満ちている。
また、それらの翼は力の表れであり、動く力や、行動する力などを表す。
 
それぞれの領域において救いを受けたこれらの生き物は、実際の生き物でしたが
「永遠の幸いを享受する」ことになるはずの生き物(人・獣・這う物・鳥)の階級を象徴的に
表しているのです。
4つの生き物は、彼らの創造の目的をたっしたもっとも気高い生き物であり、ほかの世界から
救われた物であった。
というのは、彼らは完全であったからである。

第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人
のような顔をしており、第四の生き物は鷲のようであった。
エゼキエルは、神の御座が4つの生き物の上にあるのを見ています。
そこで4つの生き物をあらためて見てみると、「人、獅子、雄牛、鷲」となり、それぞれ霊長類
肉食獣、草食獣、鳥類の王
とよばれるに相応しい風格を備えた生き物ばかりです。
人はすべての生き物に秀でた存在で、また鷲はすべての野鳥に抜きんでています。
牛はあらゆる家畜に、獅子はすべての野獣に抜きんでています。
百獣の王たる獅子は、ピラミッドを含むソロモン神殿の前にも鎮座しています。
雄牛は聖なる生き物の代表格で、捨てる部位のないことからイスラエルでは燔祭のために
ささげられました。
鷲はすべての猛禽類の王で、力強さの象徴です。
人、獅子、牛、鷲は、個々の生き物の世界観を象徴します。
それぞれに主権を受け、すばらしい特性を授けられていますが、すべて神の力の下に服しています。
これらが神の玉座を囲んでいるのは、それぞれが神にとって重要な意味のある生き物であると
表しています。
それぞれの領域において救いを受けたこれらの生き物は、実際の生き物でしたが
「永遠の幸いを享受する」ことになるはずの生き物(人・獣・這う物・鳥)の階級を
象徴的に表しているのです。
467029e0









これらは、いくつかの種類の生き物が永遠の幸福を享受するときのそれぞれに定められた創造の階級
領域についての神の栄光を表現するためにヨハネに示されました。
8e88136f3そして、メルカバーの4つの獣はそれぞれ四方を向いていて、人の顔は人が水をくむ水瓶座、獅子は獅子座、牛は牡牛座、鷲は昔は鷲座だった今の蠍座を示しています。
水瓶座、獅子座、牡牛座、蠍座は互いに90度の角度をもって十字に配置されていて宇宙の東西南北を示しているのです。
そして、メルカバーを表す獣は、日本にもいます。
『平家物語』に大内裏の紫辰殿に「鵺(ぬえ)」という物化が現れたとあります。
その姿は猿の顔、狸の胴、虎の手足、蛇の尾を持つ怪物で鎌倉時代(紀元1185年ごろ‐1333年)に成立したと思われる、平家(紀元794年‐1185年ころの平安時代の末期に隆盛を誇った平清盛の一族の桓武平氏の内の伊勢平氏のこと)の栄華と

没落を描いた軍記物語である『平家物語』を読むと、平安京の紫宸殿(ししんでん)の真上に黒雲に乗って現われ近衛天皇を苦しめたとあります。
そのため源兵庫守頼正に鵺退治の命が下り、黒雲とともに現われた鵺を弓で射落としたのです。
Kuniyoshi_Taiba_(The_End)
落ちてきた鵺を見て人々は恐れました。
その姿は猿の頭を持ち、狸の胴体、虎の手足、蛇の尾をもつ異形の姿をした怪物だったからです。
その鵺の遺体を空舟(うつおぶね)に入れ、川に流しました。
そして鵺の遺体を入れた空舟は芦屋浦に漂着し、そこで大切に墓に葬られたとあります

鵺をユダヤ密教(カバラ)が基になっている陰陽道から解き明かすとこうにります。
鵺を退治したのは、源頼政で狸の体を刺したのは、家来の猪早太(いのはやた)です。

西南の未申(ひつじさる)、東北の丑寅(うしとら)、西北の戌亥(いぬい)、東南の辰巳(たつみ)となり、羊と猿、牛と虎、犬と猪、龍と蛇の姿が見えてきます。



 
このことから、鵺の正体がメルカバーと同じであり方位を示していたと分かります。
f104978a



















鵺の正体とはメルカバーのことであり、平家と源氏が台頭してきた時代にあって
カバラに通じたレビ人の忌部氏の末裔である藤原氏を削ぐ意味で作られた、武家側の巧妙な妖怪
だったことになります。
だからこそ源氏が鵺を打ち落とし、その物語が『平家物語』に記されているのです。

「大内裏」は正確に東西南北を示し、中国・朝鮮・日本において、天の四方の方角を司る
「四神」の存在にもっともふさわしいと伝統的に信じられてきた
東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武を示した「四神相応」の構図を示しています。
俗にいう「風水」です。
663eb47d
















元京都埋蔵文化財研究所所長の杉山信三は、京都の舟岡山付近で平安京の失われた大路を発見し
さらに太秦や吉田神社付近でも大路跡を発見しました。
平安京の真の形は、T字型の十字架に架かったイエス・キリストです。
Funaoka_(Kyoto,_Japan)























頭部に船岡山を配置して、そこにイエス・キリスが降る磐坐を置き
イエス・キリストの姿を完成させました。
a1eefeac




































「大内裏」が「大祭司の胸あて」の場所です。
e26e45a3

モーセの兄にして最初の大祭司であったアロン以来、大祭司がヤハウェに善悪を判断して決める伺いをたてる際の胸に着用する布製の装飾具で、「裁きの胸当て」(出エジプト 28:15)「正義の胸当て」とよばれています。(エペソ 6:14)
あなたはまた裁きの胸当てを巧みな技をもって作り、これをエポデの作りのように作らなければならない。
すなわち金糸、青糸、紫糸、緋糸、亜麻の撚糸で、これを作らなければならない。
これは二つに折って四角にし、長さは一指当り、幅も一指当りとしなければならない
またその中に宝石を四列にはめ込まなければならない。



すなわち紅玉髄、貴かんらん石、水晶の列を第一列とし、第二列は、ざくろ石、るり、赤縞めのう。
第三列は黄水晶、めのう、紫水晶。
第四列は黄碧玉、縞めのう、碧玉であって、これらを金の編細工の中にはめ込まなければならない。
その宝石はイスラエルの子らの名に従い、その名と等しく十二とし、おのおの印の彫刻のように
十二の部族のためにその名を刻まなければならない。
(出エジプト 28:15-28)
27a3d497



























陰陽道と安倍晴明の真相

ユダヤ密教(カバラ)が基である陰陽道の裏の陰陽道の名を「迦波羅(かばら)」といい
「迦波羅」とは音写でユダヤ密教「カバラ」のことです。
陰陽道には「セーマン」と「ドーマン」という2つの図形があります。
2aa9a24d












陰陽師の安倍晴明に由来する「セーマン」は五芒星であり、対する蘆屋道満に由来する
「ドーマン」は九字切りの格子紋です。
セーマン(五芒星)は星形を一筆書きで描き、ドーマン(九字)は横5本と縦4本の合わせて
9本の直線で格子模様を描きます。
これらのマークの名称が、それぞれ、ドーマン = 道満、セーマン = 晴明を意味しています。
蘆屋道満の本名は秦道満で、その娘は人魚の肉を食べて不老不死となった
「八百比丘尼(やおびくに)」といわれています。4b084af5dfc6429a99ce243596fe2a14Nakifudo_Engi_Abe_no_Seimei






























陰陽道には表の「陰陽師」裏の「漢波羅」があります。
陰陽師には陰陽寮という役所に仕える役人のような存在の陰陽師と在野の陰陽師があります。
安倍晴明は陰陽寮に仕える陰陽師です。

歴史的に安倍晴明の系図は創作されたものであるらしく、その素性はよく分かっていません。
安倍晴明が本当に安倍氏なのかというのも、確固たる証拠はありません。
『賀茂別雷皇太神社記』には、父方は安倍仲麻呂の子孫、母方は賀茂氏と記されています。
浄瑠璃では母はイナリの白狐だとしていて、伏見稲荷大社を創建したのは賀茂氏の
秦伊呂具に通じます。

陰陽道の奥義解説書『簠簋抄(ほきしょう)』では晴明の母は巫女とされ、『将門記』では
「1人の巫女が平将門の前に現れ八幡神の託宣を伝える」と記されています。
『簠簋抄(ほきしょう)』『将門記』は安倍晴明は賀茂氏の平将門の子供としています。
そして、平将門が父である事実を隠すため安倍氏への養子となりました。

一説には安倍晴明の邸宅があったとされる場所は、茨城県筑西市 の「猫島」です。
伝説によると茨城県に流刑された賀茂保憲が、数千匹の猫に囲まれてしまい困惑していると
1人の童子が現れ童子を見た猫たちは逃走してしまいました。
童子が安倍晴明であり、賀茂保憲は安倍晴明を弟子にしました。
Img10598-e1404015774579-735x240



さらに安倍晴明は鹿島神宮で婆伽羅龍王から鳥薬を授かり鳥たちの言葉が分かるようになり
陰陽師として成長していった といいます。

婆伽羅龍王の「婆伽羅(バカラ)」は、「迦波羅(カバラ)」のアナグラムです。
動物名は象徴であって「猫」は「根子」であり、「根子」とは天皇を意味する 言葉です。
海部氏は「根子」の言葉を重要視しています。
海部氏の祖先の徐福集団は、アケメネス朝ペルシャにいた東ユダヤ人です。
ペルシャ語には、「neko (ネコ)」という語があり、意味は「善」です。

安倍晴明は、鳥の言葉を理解したといわれます。
鳥は、忌部氏を初めとする祭司の象徴です。
忌部氏のトップは賀茂氏です。
安倍晴明は賀茂氏の中の八咫烏です。
安倍晴明は、レビ族の天皇家の血筋なのです。

安倍晴明が作った紙人形に命を吹き込んだものが河童になったという伝承がありますが
これはなついた河童によって使役していたのでしょう。
cf4d60d3














陰陽道ではドーマン、セーマンは魔よけの呪符として伝えられています。
20caf7d9













邪視は世界の広範囲に分布する民間伝承の1つで悪意を持って相手を睨みつけることにより
対象者に害を与えるとされています。
中東では「邪視」に対し「あなたの目に5」と言うと、自分を守れるとされています。

これは神権を示す五芒星(セーマン)と「5」が同じです。
ドイツの邪視除けの護符には、直線の格子模様を描きます。
これはドーマンと同様です。

陰陽道は陰と陽の2つで一対と数え、数でいえば陰の偶数と陽の奇数で一対になります。
表の陰陽道は陽数(奇数)を用いて、裏の陰陽道「迦波羅(カバラ)」は陰数(偶数)を用います。

表のセーマンは陽の「五芒星」で、裏のセーマンは陰の「六芒星」です。
「六芒星」とは日本での「籠目紋」で、イスラエルでは「レビ族の紋章」です。
神権を示す「五芒星」とレビ族の紋章「六芒星」があり、陰陽道には神権があり
祭司がいるということを示しているのです。
8c4c526a










ウリムとトンミムのレビ族の紋章である六芒星のシンボルは、古代イスラエルの時代からありました。
五芒星は神権を示し、六芒星はレビ族の紋章です。
イスラエルのカペナウムにあるシナゴーグ(ユダヤ教会堂)遺跡に行くと
五芒星と六芒星が並んでんいます。
11b73cd2

























ドーマンとは、縦横に直線が描かれた格子模様で、陰陽道の術「九字」を表現しています。 
九つを縦横、交互に切る際に「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女」
と唱えますが、一般的には修験道の「臨・兵・闘・者・皆・陳・列・在・前」
のほうがよく知られています。
「臨・兵・闘・者・皆・陳・列・在・前」は漢文で
「兵闘に臨みし者、皆、陣の列前に在り、臨める兵、闘う者、皆陣をはり、列を作って、前に在り」
と解釈され神の軍団が臨戦態勢でいるから、悪魔よ立ち去れというのです。
この構造は、モーセの律法において大祭司が着用した横3升、縦4升、計12升にイスラエル12部族の名が刻まれた12個の宝石が付いていた「胸当て」と同じです。
20160611133728

















この胸当ては、大祭司がヤハウェに善悪を判断して決める伺いをたてる際の胸に着用する布製の装飾具で、「裁きの胸当て」「正義の胸当て」とよばれています。
表のドーマン陽(奇数)の「九字」で、裏のドーマンは陰(偶数)の「十字」です。
九字を切ったのち、その格子紋の中心に一字を打ち込みます。

しかし、これは形式的な物で本来の裏の九字、すなわち十字とは縦横1本ずつの直線で
文字どおり十字を切ります。
これはキリスト教徒が祈る際に胸の前で切る十字と同じです。
この術をもたらしたのが、原始キリスト教徒の秦氏だからです。
秦氏は十字を切る術を陰陽の原理から裏の術として密儀として行っているのです。
 
ドーマン(九字)は裁き(正義)のシンボル、セーマン(五芒星)は神権のシンボルです。
だからこそ、悪霊を退散させることができました。

※初期のキリスト教時代からも見られるこの古代のクリスチャンのシンボルを
悪魔に結びつけた人物はエリファス・レヴィで25歳でカトリック教会の執事になり
悪魔的なオカルト主義者になったため破門になりました。
6526b7c8


















茨城県猫島に伝わる古文書『晴明伝記』に描かれたドーマン ・セーマンは、セーマンが上下逆さになっています。
0c6cd687



















この画像の図形は、籠神社―多賀宮―熊野本宮―伊勢内宮―伊吹山のそれぞれが111Km
元伊勢内宮―伊吹山だけが114Kmの正近似五角形の図形です。
各点を結ぶと五芒星形になります。
この五芒星の内五角形の北頂には平安京が位置します。

エルサレムの歴代の神殿には脇間があり人形をしていました。 
86c4d4f0
















神殿の頭部の延長線上には、オリブ山があります。
ゲツセマネの園はオリブ山にあります。 
オリブ山は、この世が終わるときにイエス・キリストが再臨し降り立つ岩場です。
c2cf3286








京都の近くに琵琶湖があります。
イスラエルには「ガリラヤ湖」があります。
「ガリラヤ湖」は『旧約聖書』では「キレネテ湖」『新約聖書』では「ゲネサレ湖」ともよばれます。
キレネテとはハープという意味で琵琶に似ています。

1560bfbb200







秦氏は平安京を十字架と見立てる際、罪状板に当たる船岡山に命婦稲荷神社を建立することにより
「INaRI」の名を刻みました。
稲荷神社のイナリはイエス・キリストの罪状板のIesus Nazarenus Rex Iudeorum
(ユダヤの王ナザレのイエス)からきています。
命婦稲荷神社の伝説によると、船岡山には3匹の狐が棲んでおり、これを祀ったのが
命婦稲荷神社の始まりであるといいます。
命婦とは、稲荷大明神の使いである狐のことです。
3匹の狐は、やがて京都の伏見に行き、そこで伏見稲荷大社が創建され、一気に全国へと
勧請(かんじょう)された結果、今や八幡神社と並びもっとも数の多い神社となったとされます。
fusimiinaritaisya300200200







「狐」の字は古くは「ケツ」と読み、3匹の狐で「三狐」すなわち「ミケツ」となります。
「ミケツ」は聖なる食物を意味する古語「御食(みけつ)」に通じ、御食の神を象徴します。
日本神話において「大宜都比売神(オオゲツヒメノカミ)」なる神が登場します。
この神にはいくつかの別名がありますが、これを整理するとこうなります。
三狐=御食=御食神=大宜都比売神=保食神=宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ) 
ウカとはケツと同じく食べ物を意味する古語で、仏教では「宇賀神(ウガジン)」と同一視され
そこから「宇賀弁才天」すなわち「弁才天」と習合していきます。
『先代旧事本紀大成経』では弁才天は天照大神の別名と書かれています。
宇賀神=弁才天=イエス・キリスト白蛇として表現されます。

古語で「ウカ」は「ウケ」にもなります。
「保食神」=「ウケモチ神」のウケです。
この転訛によって、もう1人の重要な神「豊受大神」が等式に加わります。
豊受大神は『古事記』では豊宇気毘売神(トヨウケビメノカミ)です。
室町時代(紀元1336年‐1573年)末期に編纂された事典『塵添壒囊抄(じんてんあいのうしょう)』
4巻に、「蛇」を「ウカ」というとありヤハウェは「蛇」として表現されました。

「豊受」の「豊」とは「~の」という語で、物事が豊かである意を表し褒める意味もあります。 
「受」は「受ける」とも「受かる」ともいいます。 
ここから「受け」=「ウケ」「ウカ」となり「受大神」=「ウケノオオカミ」「ウカノオオカミ」
となります。
「ウカノオオカミ」=「宇迦之大神」「宇迦之御魂(ウカノミタマ)大神」が導かれます。 
豊受大神=トヨウケ大神とはトヨウカ大神であり宇迦之御魂神=イエス・キリストのことなのです。

『魏志倭人伝』には卑弥呼亡きあと、男王が立ったが国内がまとまらず内乱が絶えなかったため
「台与(トヨ)」を立てたと記されています。

紀元700年代に公認された史書『古事記』『日本書紀』の内容は、当時の政府が国家を支配するために、都合の悪い過去は隠匿され記載されています。
このころ政府は全国規模で各地に遺されていた史書を没収したといわれています。
記紀以前のものと伝えられる文書もあるにはありますが、政府に従わない側のものであるため
記紀に反する内容も多く、国家的にも学会においても黙殺されています
この「台与(トヨ)」の呼び名を、豊受大神の名の中にと残した可能性があります。

ヘブル語では「ウカ」食物を意味し音と意味が一致しています。
そして、稲荷大明神文字どおり稲の神です。

宇迦之御魂神は食物の神であるがゆえ、さまざまな名前でよばれており、それらが
同一神であることは多くの研究家が指摘しています。
記紀神話において、天照大神は天孫ニニギを降臨させるにときに、稲穂を始めとする植物を与え
地上で栽培するように命じています。
地上に稲を与えたという意味でも、天照大神は稲の神であります。

かつてイスラエル人が荒野を彷倥った際、ヤハウェは天からマナを降らせました。
その意味でヤハウェは食物の神でありマナの神なのです。
イエス・キリストは受肉したヤハウェで、かつイエス・キリストは天照大神でもあります。 
 
稲荷大明神と天照大神の関係を示すとこうなります。
「宇迦之御魂大神」=「豊受大神(ヤハウェ)」=「稲荷大神(イエス・キリスト)」
=「天照大神(イエス・キリスト)」
日本全国に多くある稲荷神社はイエス・キリストをまつっていたのです。
e0bcf56c













稲荷神(イエス・キリスト)の使いとして白狐がいます。
飛鳥時代に仏教が伝来し、野干(やかん、ジャッカル)を従えた豊穣の神ダキニ天と狐を
使いとした豊穣の神稲荷が同一視されます。

荼枳尼天(ダキニテン)は、仏教の神(天)で、インドのヒンドゥー教の女鬼(半女神)に由来します。「荼枳尼」の名はサンスクリットの「ダーキニー」を音訳した呼び名です。
ダーキニーはもともと集団や種族を指す名ですが、日本の荼枳尼天は一個の尊格を表すようになり
一般に白狐に乗る天女の姿で表されます。
ダーキニーはのちに仏教に採り入れられ稲荷信仰と習合し、寺院の鎮守稲荷の多くは荼枳尼天を
御神体とします。challenge08_01













平安初期に空海により伝えられたユダヤ密教を基とする真言密教では、荼枳尼は閻魔(えんま)の同族
となっています。
閻魔とはイエス・キリストのことです。 

白は汚れのない色であり、純粋な神の神聖さを表現した色で、イエス・キリストに
かかわる聖獣は白いのです。
48eb92dd

















黙示 19:11-14
またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。
それに乗っているかたは、「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によってさばき、また戦うかたである。 
その目は燃える炎であり、その頭には多くの冠があった。
また、彼以外にはだれも知らない名がその身にしるされていた。 
彼は血染めの衣をまとい、その名は「神の言」と呼ばれた。 
そして、天の軍勢が、純白で、汚れのない麻布の衣を着て、白い馬に乗り、彼に従った。

ヨハネが見たキリストの再臨の示現の中では、主は白い馬に乗っておられました。
それはキリストが実際に白い馬に乗っておいでになるのではなく、再臨のときに主が王として
すべての悪を征服なさることを象徴しているのです。
白い馬とは汚れのないことを意味し、また白く輝く日の栄えの栄光を表します。
4838e1a3369123













イエス・キリストが多くの名でよばれていることが
「その頭には多くの冠があった。また、彼以外にはだれも知らない名がその身にしるされていた。」(黙示 19:12)の記述で暗示されています。

イエス・キリストが地球にマリヤから産まれる前の霊体だったときは、ヤハウェ (英語エホバ)
とよばれ、ヤハウェは古代エジプトの神ラーであり、イスラム教の神アッラーフであり
ヒンドゥー教の神ブラフマー、神道の豊受大神です。

またイエス・キリストは、古代エジプトのホルス、バラモン教のミトラ、ヒンドゥー教の
クリシュナ、仏教の観音菩薩、地蔵菩薩、弥勒菩薩であり、神道の天照大神であり
アイヌのオキクルミ・カムイであり、古代アメリカのケツァルコアトル、ククルカンでもあります。
そして、国が違えば同じイエス・キリストでも英語ではジーザス・クライストと発音します。
このようにさまざまな国や民族の神が、イエス・キリストであり、多くの名でよばれているのです。


天皇に降臨したイエス・キリスト
  
神武天皇が朝鮮半島から渡来した紀元3世紀末ごろ、畿内には邪馬台国投馬国
平和的な併合を果たした大邪馬台国がありました。
大邪馬台国は物部王国であり、その王家は物部氏の中の物部氏、すなわち海部氏でした。
当時すでに卑弥呼は亡くなっており台与が女王でした。

九州から順調に移動していた神武天皇でしたが、畿内に入ると抵抗にあって大苦戦を強いられます。
一時は退却し紀伊半島を回って今の熊野に上陸したのち、北上するルートをとおり再び畿内で
合戦に臨みました。
このときに神武天皇の軍勢の前に立ちはだかったのが、クマソ系の物部氏の「長髄彦" 」の軍勢です。
長髄彦の別名が「登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネヒコ)」であり「登美(トミ)」は
大和国にある地名の「鳥見(トミ)」のことです。

物部氏の祖神は「ニギハヤヒ命」であり「ニギハヤヒ命」を代々氏族長の称号のように用いています。
d43d898270ed717e80fcf










ニギハヤヒ命は長髄彦の妹の三炊屋媛(ミカシキヤヒメ)を妃として迎え入れており
彼にとって長髄彦は義理の兄です。
しかも、三炊屋媛が産んだニギハヤヒ命の長男の宇摩志麻遅命(ウマシマジノミコト)を祖として
物部氏一族が誕生したことになっています。
ニギハヤヒ命は王である長髄彦の一族に婿入りする形で先住民の王国を継承し、物部王国でもある
邪馬台国を築いたのです。
ニギハヤヒ命(物部氏、海部氏)ユダヤ教である物部神道を国家の中枢に据えていました。
ニギハヤヒ命(物部氏、海部氏)を天孫族として迎えた長髄彦は、琉球民族やクマソ系の
ニーファイ人で、物部氏が東遷してくる以前に畿内を治めていた先住民でした。

紀元3世紀末ごろ、朝鮮半島から九州に上陸した神武天皇が秦氏とともに畿内へと進出します。
長髄彦らの抵抗にあった神武天皇は態勢を立て直し、紀伊半島を南に迂回して紀伊半島南端部の
熊野から大和国へと攻め上ったことになっています。
a741fab5









神武東征は、カムヤマトイワレビコ(神武天皇)が日向を発ち大和を征服して
橿原宮で即位するまでの日本神話の説話です。
神武天皇は天皇陛下として即位する前は『日本書紀』では
「神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレビコノミコト)」
『古事記』では「神倭伊波礼比古命(カムヤマトイワレビコノミコト)」とよばれていました。
ヘブル語で「カム(KUM)」は、群れを大量に集める意味を持っています。
「ヤ」はヘブル語の「ヤハウェ」の短縮形で、「マト(מטה)」は「分家、枝」の意味があります。
旧約の時代『モルモン書』の預言者ゼノスは、ヤハウェであるイエス・キリストが
ぶどう園の主人で、オリーブの木の枝をイスラエルの民や異邦人の人々にたとえ
イスラエルの民の背教と集合のたとえ話をしました
したがって「ヤマト」とは「ヤハウェの民(分家)」カム・ヤマト「ヤハウェの民(分家)を大勢集める」という意味になります。
 
イスラエル人のことをヘブル語方言のアラム語では「イワラ(IWARAA)」とよび
ヘブル語では「イフディ、イワデ(YEHUDI)」とよぶため、類似した発音を持つ「イワレ」
の語源も同様にヘブル語です。
ヘブル語で「ビコ(VQWR)」は「渡来した」の意味です。
2つの言葉を組み合わせると「イワレ・ビコ」は「渡来したイスラエル人」という意味になります。

カムヤマトイワレビコは、日向の高千穂の宮にいましたが、兄の五瀬命(イツセノミコト)
とともに東方に天下を治める都を造ろうと大和に向かいました。
瀬戸内海をわたり難波から淀川を溯上し河内国に入り大和に向かおうとしましたが
大和の豪族のナガスネヒコの迎撃で、カムヤマトイワレビコの兄のイツセノミコトが矢傷を負い
撤退します。
 
カムヤマトイワレビコはこの敗戦を、太陽とも表現される天照大神の子孫であるにもかかわらず
太陽に向かって戦ったためと考え、紀伊半島を南に迂回して紀伊半島南端部の熊野から北上して
大和国に侵入することを目指します。
五瀬命は熊野に至る前に命を落としました。
「カムヤマトイワレビコ」が熊野まで来たとき、大熊が現われてすぐに消えました。
すると「カムヤマトイワレビコ」をはじめ兵士たちは皆、気を失って倒れてしまいました。

このとき、熊野の高倉下(タカクラジ)が、一振りの太刀を持ってやってくると
カムヤマトイワレビコは目が覚めました。
カムヤマトイワレビコがその太刀を受け取ると、熊野の荒ぶる神は自然に切り倒されてしまい
倒れていた兵士も気絶から覚めました。

カムヤマトイワレビコは高倉下に太刀を手に入れた経緯を尋ねました。
高倉下によれば、高倉下の夢の中に天照大神と高木神=高御産巣日神が現れ、二神は
建御雷之男神(タケミカヅチノオノカミ)をよんで「葦原中国はひどく騒然としており
私の御子たちは悩んでいる。お前は葦原中国を平定させたのだから、再び天降りなさい」
と命じました。

しかし、建御雷之男神は「平定のときに使った太刀があるので、その刀を降ろしましょう」と答え
高倉下に「倉の屋根に穴を空けてそこから太刀を落とし入れるから、天津神の子のもとに
持って行きなさい」と言いました。
目が覚めて自分の倉を見ると本当に太刀があったので、こうして持ってきたといいます。
その太刀は布都御魂(フツノミタマ)といい、現在は奈良県の石上神宮(いそのかみじんぐう)
に鎮座しています。

また、高木神の命令で遣わされた八咫烏の案内で熊野から大和国の宇陀に至りました。
そして、長髄彦はニギハヤヒ命の天羽羽矢(あまのはばや)と歩靫(かちゆき)を見せました。
するとカムヤマトイワレビコも同じ物を見せました。 
長髄彦とカムヤマトイワレビコはともに天津神の子である印を見せ合い、どちらも本物であることが
分かりました。
しかし、長髄彦はそれでも戦いを止めようとしなかったので、ニギハヤヒ命は長髄彦を殺して
カムヤマトイワレビコに従いました。
このようにして、カムヤマトイワレビコ(神武天皇)は抗戦する者たちを服従させ
橿原で天皇陛下として即位しました。

ニギハヤヒ命が天皇である証拠を持ってこさせたところ、カムヤマトイワレビコは確かに
偽りではないと認め自分も同じ証拠を持っていることを告げるのです。
このときの証拠が「天羽羽矢(あまのはばや)」と「歩靫(かちゆき)」です。

学説では「天羽羽矢」は「蛇の呪力を負った矢」であり、歩靫は「徒歩で弓を射るときに使う容器」
だとされます。
「ハバ(ハハ)」は蛇の古語で、モーセは青銅の蛇を竿にかけ、ヤハウェ=イエス・キリストが
十字架にかかる予型にしました。 

旧約時代にモーセは旗竿に青銅製の蛇を掲げ、十字架にかかるイエス・キリストの予型にしました。 
モーセの旧約時代には、ヤハウェは蛇として予型にされたのです。
蛇は悪魔を表すこともありますが、ヤハウェを表すこともあります。9acfb074
























メキシコのアステカ文明では、三回転半した蛇を私たちの聖なる母トナンツィン
(ナワトル語でわれらの母の意)として崇拝しました。 

ユダヤ密教(カバラ)の命の木の象徴図形では、日の栄えの王国の最高位の「昇栄」にいたる
上昇は三回転半です。
善悪の知識の木、つまり死の木に巻きつき人を誘惑した蛇はサタンですが、命の木を三回転半して
昇栄し人を救うために助ける蛇は、イエス・キリストの予型にされた蛇なのです。

「天羽羽矢」の字を分解すると「天羽羽矢」の構造は、「羽羽」と羽が一対になっています。
また「歩靫」は「矢杙(やなぐい)」とも書くように、矢を移動の最中に固定しておくための
箱の意味です。
実際の歩靫は全体が革でできていましたが、底部には鋭く尖った矢先から革を保護するため
木の箱が入っていたのです。
「天羽羽矢」の「羽」の一字が両翼を広げた鳥一体で、「羽羽」と2字あるので左右一対に並ぶ
構図を示しています。
それが運搬のときにずれないよう箱が下に置いてあるとなれば「契約の箱」です。
2ddebad8a6b758c6

































契約の箱も本体は上下の二重構造になっており、上は蓋で羽を広げたケルビムが左右一対で蓋の下は箱があり、三種の神器を入れるとともに移動の際に蓋を固定する役目も負っています。

一つ一つの文字が意味を表している「表意文字」でもある漢字は、物の形をかたどって描かれた「象形文字」でもあるので、神璽の「璽」は箱の上で向かい合い羽を広げて頭をたれるケルビムの姿に見え、
e30fa063
ケルビムの間にT字型の十字架があります。
一つ一つの文字が意味を表している「表意文字」でもある漢字は物の形をかたどって描かれた「象形文字」でもあるので神璽の「璽」は箱の上で向かい合い羽を広げて頭をたれるケルビムの姿に見えます。
また偏や旁などに分解して意味を読み取る「漢字破字法」を使うと「爾・玉」で、爾は「汝」「然り」の意味です。
「玉」は漢和辞典では「王」と同格とあります。 
その意味は「至極」、玉は自然石であり、その王といえば宝石以外は「大理石」です。


大理石は、石灰岩が変成作用を受けてできた粗粒の方解石からなる結晶質石灰岩です。
また美しい石灰岩も総称し、建築・装飾用の石材として用います。
契約の箱に収められた2枚の十戒石板の材質は大理石と考えられいます。

カムヤマトイワレビコノミコトが契約の箱と十戒石板、マナの壺を提示し、ニギハヤヒ命は
アロンの杖を提示したと考えられます。

そして、お互いに同じイスラエルの印である「三種の神器」と分かったのです。
長髄彦は、旧約の民で饒速日命の「天羽羽矢」と「歩靫」を見せました。
するとカムヤマトイワレビコも同じものを見せました。
長髄彦とカムヤマトイワレビコはともに天津神の子である印を見せ合い、どちらも本物であることが
分かりました。
「天津神の子」とは「天の神であるキリストの子」という意味で、『聖書』では「キリストの子」
という表現は、イエス・キリストの教え受け入れ従う人の意味です。

そして、カムヤマトイワレビコは「聖十字架」も提示した可能性があります。
新約の民の秦氏となったカムヤマトイワレビコは、契約の箱の贖いの座にイエス・キリストも
贖いの磔刑の証拠である聖十字架を立てたのです。
旧約の民の物部氏や海部氏も十戒に従っていることやヤハウェへの信仰を証しました。

そして、天羽羽矢の「矢」はヤハウェの「ヤ」のことを示しているのかもしれません。
旧約の民にとっては天羽羽矢が旧約時のイエス・キリストの贖いの十字架での磔刑を象徴した
青銅の蛇を意味していましたが、旧約の民は聖十字架を目の当たりにして、お互いに自ら信仰する
神が同じで同じ「キリストの子」と分かったのです。

同じ民族の血を分け合ったユダヤ人徐福集団の末裔の物部氏と海部氏、それに先住民である
ニーファイ人の末裔のクマソたちとの戦いに決着をつけるべく、イスラエル10部族の長にして
ユダヤ人原始キリスト教徒であったカムヤマトイワレビコは、幕屋のうちの至聖所で契約の箱の
贖いの座の上に聖十字架を立てたのです。

祈りは天に通じイエス・キリストが契約の箱と聖十字架のある幕屋(神殿)
に降臨したと考えられます。
6ca15d81074b0414
b80833c6


















































長髄彦との戦いは最終的に天から降臨した「金鵄」によって勝敗が決まったとされます。
戦いは長引いて終盤になり急に空が暗くなって雹が降り始め、光輝く金色の鵄が飛んできて
カムヤマトイワレビコの弓に止まり、長髄彦の軍勢は眼が眩み戦うことができなくなり
恐れをなして総崩れになったのです。o0800043413249911436










雹とは積乱雲から降る直径5mm以上の氷の粒のことで、積乱雲は雲の内外で雷(プラズマ)が発生するのが特徴です。
金鵄の金色は赤から緑の波長の光を選択的に強く反射する場合に見える色で、反射率が高いため
周囲の色を反映して複雑な色に見えます。
金は王を象徴しています。
カムヤマトイワレビコの目の前に光り輝く金鶏が天から降臨したのは、古代アメリカの
ニーファイ人たちに降臨したように、日本に復活した光り輝くイエス・キリストが地上に
降臨したことを伝えているのです。 

わたしはイスラエルの家の失われた羊以外の者には
つかわされていない
(マタイ 15:24)

「イスラエルの失われた羊」とは、行方の知れないイスラエル人のことです。
イスラエル10部族はもちろん、バビロン捕囚でメソポタミア地方に住み着いたユダヤ人を含め
離散のイスラエル人すべてを意味しています。
彼らのもとに遣わされたのが、イエス・キリストなのです。
イエス・キリストの福音は全世界に向けられていて、イスラエル人も異邦人も区別はありません。
しかし、イエス自身が直接的な対象としたのは、イエスを信仰したイスラエル人です。
『旧約聖書』において、ヤハウェがイスラエル人と契約した予言をイエスは成就しました。
イエス・キリストはイスラエル人に最初に福音を伝えます。

イエスはアメリカに降臨したのち、アルザルなどの行方の知れないイスラエルのほかの羊
訪れられました。
8c15c8da300










わたしは今は父のみもとに帰り、またイスラエルの行方の知れない部族にも
わたし自身を現そう。
彼らは父にとっては行方知れずではない。
父は彼らを導いた先を御存じだからである
3ニフ 17:4
b80833c6












復活して天に昇って行ったはずのイエス・キリストが紀元3世紀末の日本に降臨したのでしょう。。
目の前で繰り広げられた奇跡の光景、イエス・キリストを見たからこそ、長髄彦の軍勢は
恐れをなしたのです。
地上に降り立ったイエス・キリストはカムヤマトイワレビコに国を支配する王権を与えたのでしょう。
このとき、ユダヤ教徒であった物部氏と海部氏、クマソ(ニーファイ人)たちは、目の前にいる
イエス・キリストが受肉したヤハウェであることを悟ったのです。

ニギハヤヒ命は大物主=大国主=素戔嗚尊=大黒様です。

日本の支配権を大国主から受け継ぐという「国譲り神話」は、この旧約の民の物部氏
海部氏から新約の民の秦氏に王権が移行したこと
を表しているのです。
(提供:佐藤 昭信・末日聖徒イエス・キリスト教会 編纂:武井 泄月袴)
e3a0ee66300250








それでは神(GOD・エロヒム)とは何者なのでしょうか?
神の正体とは・・・
elohim250









                             ブログランキング・にほんブログ村へ