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【至急】塩を止められて困っています【信玄】を書いていて気が付いたことなんですが
武田信玄のルーツは茨城県だったんです
私は当然ながら山梨ケンミンだと信じていましたし韮崎がルーツだって思っていました
山梨には甲府市武田という地名もあります
ところが茨城県ひたちなか市武田という住所地に武田氏(うじ)館跡という建物がありました
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名将信玄を出した甲斐武田氏発祥の地
という看板が立っています
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武田氏館跡と検索すれば躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)と出てきますから
茨城の方は認知度が低いのかもしれません
ということで
戦国一の武将 甲斐の虎と言われた武田信玄のルーツを探ってみたいと思います

武田氏は本姓は源氏
家系は清和源氏(第56代清和天皇の皇子・諸王を祖とする源氏氏族)の一流。
河内源氏2代当主源頼義の三男である源義光(新羅三郎義光)を始祖とする甲斐源氏の宗家である。

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河内源氏の名族の一つとして戦国時代には戦国大名化し
武田晴信信玄)の頃には領国拡大し中央の織田・徳川勢力に対抗するが
勝頼期には領国の動揺を招いて宗家は滅亡し、江戸時代には庶家だけがわずかに残った。
家宝御旗後冷泉天皇から下賜された日章旗)と
楯無(楯無の鎧、源頼義が御旗とともに授けられた)。
甲斐武田氏の主な分流としては安芸(広島)武田氏京都武田氏
その他に上総(千葉)因幡(鳥取)常盤(茨城)がある。

簡略化してみるとこんな感じです
では更に詳しくみてみましょう
yoriyoshi_samurai源義光(新羅三郎義光)の父親である源頼義
河内源氏2代当主で源頼朝に崇拝された源氏の名将といわれている。鎮守府将軍などを歴任し武勇に優れた弓の達人であり、父頼信とともに平忠常の乱を平定。
平直方は娘を武勇の誉れ高い頼義に嫁がせた。
鎮守府将軍、陸奥守として安倍氏を討つ。
その後、鎌倉に河内源氏の氏神である
石清水八幡宮(鶴岡若宮1063年)を勧請した。
頼朝はこの頼義を特に
崇拝すべき源氏の祖先としていた。

この
源頼義の息子たちは長男が源義家
次男が源義綱、三男が
源義光といいます
この3人の息子たちの別名は下記の通りです


源義家⇒八幡太郎義家 八幡は京都の岩清水八幡宮
源義綱賀茂二郎義綱 賀茂は京都の上賀茂神社
源義光新羅三郎義光 新羅滋賀県大津の三井寺(園城寺)北院にある新羅善神堂

これはそれぞれの人物が元服の儀式を行なった神社ということです
当時は名前をそのまま呼ぶのはタブーだったのですね
相手の本名を口にするときは呪いをかける時だったからのようです
相手に官位や役職があるのならその役職で呼びます
例:少将様・中納言様等


新羅三郎義光(源義光)は弓馬の術にたけ音律をよくしたという伝説がある。
古武道の大東流合気柔術では義光を開祖としている。
また流鏑馬に代表される弓馬軍礼故実である
弓術、馬術、礼法の流派である
小笠原流や武田流などは古の武家の心と形をいまに伝えている。
そして武田氏の嫡流に伝わった盾無鎧や、南部氏が今に伝えた菊一文字の鎧などにもそれは見られる。
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※新羅三郎義光が豊原時秋に笙の秘曲「広陵散」を伝授する

源義光(新羅三郎義光)長男を常陸国久慈郡佐竹郷(常陸太田市)に土着させ常陸進出の拠点とした。
三男の源義清(武田冠者)常陸国吉田郡武田郷茨城県ひたちなか市武田に配し
勢力の扶植をはかった。ここが甲斐武田発祥の地である。
源(武田)義清は刑部三郎と称し武田郷の地名をとって初めて武田氏を名乗り武田冠者と呼ばれた。 
この義清甲斐武田氏の始祖となったのである。
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左が武田義清 右が武田清光

武田系図によると義清は上野介源兼宗の女を妻とし清光をもうけてい る。
十二世紀初めの武田郷周辺の地は在地豪族の間で互いに勢力を張り合っていたが
勢力拡張をあせる
義清清光父子にゆき過ぎの行為があった。
そのため常陸大掾の族吉田清幹(きよもと)らに疎外され清光濫行として告発された。
その結果、
義清清光父子は告発された直後に甲斐国市河庄山梨県市川大門町配流となった。
義清の曾祖父頼信、祖父頼義義光と三代にわたって甲斐守に任ぜられ
清和源氏と甲斐とは密接な関係にあった父祖ゆかりの地に土着し
義清清光父子
新天地を開いて甲斐源氏発展の基盤を築いた
名将武田信玄義清から十八代目にあたる。
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それと忘れてならないのは武田の赤い具足
赤備えです
赤備えは戦国時代から江戸時代にかけて行われた軍団編成の一種。
構成員が使用する甲冑や旗指物などの武具を、赤や朱を主体とした色彩で整えた編成を指す。
戦国時代では赤以外にも黒色・黄色等の色で統一された色備えがあったが、当時の赤色は
高級品である辰砂で出されており、戦場でも特に目立つため、赤備えは特に武勇に秀でた武将
率いた精鋭部隊であることが多く、後世に武勇の誉れの象徴として語り継がれた。
赤備えを最初に率いた武将は甲斐武田氏に仕えた飯富虎昌とされ、以後赤備えは専ら
甲斐武田軍団の代名詞とされる。(提供:ウィキペディア)
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皆さんにもお気に入りの武将はいますか?
ちなみに天皇家にも大変関係が深いのですC1M4pM8UUAA3vCT
















 
武田氏(うじ)館跡へのアクセスはコチラ
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