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アドルフ・ヒトラーと神道指導者の背教者
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889年、アドルフ・ヒトラーオーストリア=ハンガリー帝国で生まれました。
税関長だった父親のアロイス・ヒトラーは、家庭では絶対的な人物として振る舞い子供には口答えを許さなく、アドルフ・ヒトラーは父親にいじめられました。
母親のクララはアドルフ・ヒトラーを溺愛し、アドルフ・ヒトラーも母が大好きであったといわれています。
1900年にヒトラーは父親により、オーストリアのリンツの実業学校に入学させられます。
小学校時代のヒトラーは成績優秀で彼の著書『我が闘争』では非常に楽しい時期であったとかかれています。 
このころから陰気で無口で頭の悪い人物に変ったそうです。
1904年に転校したシュタイル州の実業学校で出会った教師にに深く感銘を受け、ドイツ人は統一国家を造るべきだという


大ドイツ主義を学びます。
ヒトラーが13歳のときに父が肺病で死亡します。
反対していた父親がいなくなったので芸術家になりたかったヒトラーは1907年にウイーンの
美術アカデミーに入学しようとしますが、ヒトラーの写実的画風はウィーンには合わなかったらしく
入学できませんでした。 

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1907年、母クララは乳癌で死去し母の死にヒトラーはひどく落ち込みました。
1908年には再度受験しましたが落ちました。
このころ、ヒトラーはすでに反ユダヤ主義でした。
そののちヒトラーはたびたび住居を変え1909年ごろには浮浪者収容所に入り公営の
独身者寄宿舎に移り住み1913年まで暮らしました。

ヒトラーは孤児恩給や自作の絵葉書・絵画の収入もあり、ある程度は安定した生活を送っていました。
1911年には義姉アンゲラから孤児恩給を妹パウラに譲るよう訴訟を起こされて孤児恩給を
放棄しましたが、同年に叔母ヨハンナが死亡して2000クローネにおよぶ遺産を相続したと
推定されています。


1913年、オーストリア=ハンガリー帝国の兵役を逃れるためミュンヘンに移住し
仕立て屋職人の元で下宿生活を送ることになります。

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1914年には、オーストリア当局に逮捕されて本国に送還されましたが、検査で不適格と
判定されたため兵役を免除され
同年に勃発した第一次世界大戦では軍に志願し
ドイツ帝国の伝令兵(各部隊との連絡役)として配属することになります。

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地政学
カール・ハウスホーファーの弟子ののちにナチス・ドイツの副総統となるルドルフ・ヘスを通じて、ハウスホーファーは1923年、ドイツのミュンヘンビヤホール一揆に失敗して捕らえられていたランツベルク刑務所においてアドルフ・ヒトラーと出会うことになります。
ハウスホーファーは毎日のようにヒトラーを訪れてはユダヤ人によるドイツ支配を崩し優秀なゲルマン民族によって全世界が支配されねばならないと説きます。
1920年代にヒトラーの政治顧問を務めたハウスホーファーは、地理的条件が国際関係を左右すると考える学問の地政学です。


たとえば東アジアの場合、中華を自認する中国が超大国となり、多くの民族が流入しても
背後が海である朝鮮では混乱がありましたが、島国である日本の場合は中国の影響を受けながらも
独立を保つことができたと考える学問です。
ハウスホーファーの弟子にルドルフ・ヘスはのちに国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)
副総統となり、ハウスホーファーはヘスを通じてヒトラーと出会うことになります。
※ミュンヘン一揆にて投獄されたランツベルク刑務所から釈放された直後
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1923年にミュンヘンのビアホール一揆に失敗したナチスの党員は逮捕されて収監されますが
このときハウスホーファーはヒトラーと面会し地政学によるドイツの国際的位置付けを話しました。

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ドイツに必要なのは強大な軍事力であると悟ったヒトラーは獄中でナチス・ドイツの最重要とされた文献『我が闘争』を書きます。 

ナチスが政権を握るとハウスホーファーはミュンヘン大学の教授になりました。
ハウスホーファーは御用学者であり政治的知能顧問でした。
ドイツが強国となるためには軍事力を拡大し周辺諸国を支配していくほかはないと指示しヒトラーはオーストリアチェコスロバキアポーランドフランスを次々と侵略していきます。

ハウスホーファーは、日本の神秘思想もヒトラーに教授しました。
彼は日本滞在中に「緑龍会」に入会しています。
緑龍会に入会できた白人は彼を含めて3人しかいません。
ハウスフォーファーは武官として日本滞在中、チベットに


起源のある「緑龍会」に加入し、彼はエドワード・ブルワー=リットンの小説
来るべき種族に触発されて設立されたオカルト結社「ヴリル協会」にも加入したが
このヴリル協会」は神智学協会の影響を強く受けていました。
※ブリルとは小説『来るべき種族』に登場するある種の宇宙的流動体。


アーリア人が潜在化しているアトランティスの能力を開花させ、「キュプロスの目」が開眼すると
時間の「秘密」の鍵が開き肉体の目で見る容易さで世界を霊的に感知するようになると説き
これをヒトラーは信じた。
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ハウスホーファーは日本の神秘思想にふれたことでドイツとの同盟が実現しナチス・ドイツに
強い影響を与えました。
彼は緑龍会に忠誠を誓っていて、課せられた使命に失敗すれば自決することを求められていました。
1945年3月10日、ハウスホーファーはドイツ軍の敗戦が濃厚になったとき妻とともに
服毒自殺をしていますが
腹部に刃物によるためらい傷が残っていたので
切腹未遂から服毒自殺をしたようです。
日本には
緑龍会のほかに黒龍会、赤龍会、白龍会、黄龍会「五龍会」が存在します。

※昭和4年 蒋介石氏が頭山満
犬養毅両翁を訪れる
(1929年、盟友の頭山満(左)や日本亡命中に庇護していた蒋介石(右)らと)
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五龍会の色は道教や風水でいう四神になぞらえていて北は「玄武」の黒、東は「青龍」の青(緑)
南は「朱雀」の赤、西は「白虎」の白、中央の「麒麟」の黄に由来します。 

五龍会は京都御所を中心にして、それぞれ北、東、南、西、中央に本部が置かれました。
五龍会はけっして政治の表舞台には出てこない秘密組織で、仕切るのは神道管理組織「八咫烏
といわれています。
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右翼団体
として世に知られる内田良平黒龍会は五龍会の黒龍会ではありません。
しかし、無関係ではなく欧米列強のアジア侵略に対して、アジアの団結を図ろうとする主張の
大アジア主義を掲げる黒龍会を通じて八咫烏は密かに国際的な戦略を実行していきました。

ドイツ大使館付武官として来日したカール・ハウスホーファーの才能を見抜いた八咫烏は
京都の緑龍会に招き入れ、日本や世界の本当の歴史や神道とユダヤ・キリスト教に関する
極秘資料の一部をハウスホーファーに見せました。

この極秘の書物に触れた外国人はハウスホーファーだけといわれています。
ハウスホーファーは1908年から数年間、武官として日本滞在中に緑龍会に入会しています。
ハウスホーファーがヒトラーに伝えたのは神秘思想でした。
その中でも影響力を持っていたのが緑龍会です。

来日以前からインドやチベットで諜報活動を行っていたハウスホーファーは地球創生の真実を知り
ドイツは日本と同盟を結ぶ必要があると要人たちに説き、のちに1940年の
日独伊三国同盟
となって実現します。
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ナチ党(Nazi)の名は「那智滝」から来ているのか
日本の秘密結社である八咫烏の本拠地熊野那智大社の那智滝の周囲には多くの行場の滝があり
これらは那智48滝として知られている。
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これらの滝には諸宗教(神道を中心に、儒教、仏教、道教、陰陽五行説など)にもとづく名が
与えられている。
ハウスフォーファーは日本滞在中にこの「那智滝」の由縁を学んだ様である。
ただ、ドイツ内では「Nazi」は「国家社会主義者(Nationalsozialist)」の短略別称であり
ナチ党員は自分たちにナチおよびナチスという呼称を用いる事は無く、党員自身は党名の
イニシャルを略して「NSDAP」「NS」或いは「Partei」と呼び、党員同士は
「PG(党同志の略)」「Kamerad 」と呼び合ったという。

ハウスホーファーを始め「ヴリル協会」のメンバーの後押しにより、ヒトラーはチベットに
調査団を何度も派遣し、最初はシャンバラ(アルザル)修道士(シャンバラ崇拝)との接触を試みるが
彼らは「フリーメーソン」を通じての活動を選び、ヒトラーは協力は得られなかった。
そこで次にアガルティ修道士(シャンバラの地下霊的支配者崇拝)に接近し、その会派から協力を
得ることができるようになった。
1929年にはこの会派の海外本部や支部がドイツ国内に設立されるまでに両者の親睦が深まった。
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五龍会のメンバーはドイツにわたっています。
ドイツにわたった7名のうちのリーダーは八咫烏から離脱した裏切り者の男でした。
この八咫烏の背教者は、逆説的に預言を成就すべく行動を開始したのです。
彼は準備した計画どおりに京都を脱出し国外へと渡航します。
そして、ナチス・ドイツ時代のベルリンへとわたると密かに政治工作を行いました。



ドイツ軍の進攻に対して歓声をあげて喜ぶ市民。
このような姿は、リトアニアウクライナポーランドなど各国で見られました。



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1945年4月29日、ハインリヒ・ヒムラーが降伏を宣言しました。
翌30日、総統アドルフ・ヒトラーが自殺したとされ、ソ連を中心とする連合軍がなだれ込んでくるとベルリンは略奪と暴行が支配する無法地帯と化しました。
その混乱の中、裏切り者の八咫烏がベルリンから姿を消しました。
そして、首都ベルリンが分断されベルリンの壁が築かれました。
ある日のこと西ベルリンにあった老朽化したナチス時代の倉庫を解体すると1人の不審者を発見します。
浮浪者はナチスが貯蔵していた缶詰を主食に古倉庫をねぐらにしていました。
男は作業員に見つかると必死に逃げようとしましたが、追い詰められると男は用意してあった小瓶を開け中の硫酸を顔にかけました。


皮膚がただれていき、さらに男は青酸カリのカプセルを口に含もうとしましたが
作業員に取り押さえられました。


西ドイツの警察は男を病院に搬送し、そこで身元を調査し所持品から男が日本人であると
分かりましたが調べても名前がありませんでした。

西ドイツ政府は、密かに身柄を政府預かりにして軟禁状態のまま世間から隔離しました。
その理由は男が持っていた所持品です。
この男はナチス・ドイツを知り尽くしていて、男が公表するのはまずいと考えたからです。

問題の大きさに西ドイツ政府は男の存在を隠したまま、1989年にベルリンの壁が崩壊しますが
男の存在が公表されることはありませんでした。

20世紀末に情報をつかんだアメリカ軍が男に接触を試みたことがありましたが、男は重要機密に
関して断固として口を割らずドイツの病院で息を引き取りました。 


男は八咫烏の背教した裏切り者でした。
八咫烏の裏切り者は、イエス・キリストを救い主と認めずに殺したユダヤ人を憎んでおり
迫害されることを当然だと思っていました。
(提供:佐藤 昭信・末日聖徒イエス・キリスト教会 編纂:只埜セツ子)
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