ケネディ大統領 暗殺 真相 と 犯人








ジョン・F・ケネディ (JFK 1917年5月29日‐1963年11月22日)は
第35代アメリカ合衆国大統領です。

在任中は、アメリカのすぐ南に位置するキューバを挟んで、1962年10月15日から13日間にわたって
米ソ間の
冷戦の緊張が核戦争寸前までたっした危機的な状況のキューバ危機の際に
米ソ間の緊張が最高潮にたっしました。

「第三次世界大戦勃発の危機」「米ソ全面核戦争の危機」と騒がれる中で事態を収拾し
米ソ全面衝突を回避したことなどで知られますが、同時期に
ベトナムへの軍事介入拡大を招きました。
一般的には清新なイメージのリベラル派とされ、アメリカ国民からの期待も高かった大統領でしたが
任期なかばの1963年に
テキサス州ダラスにて暗殺されました。
※1963年11月22日、アメリカ、テキサス州ダラスでケネディが市内をパレード中に
銃撃され殺されました。
ケネディ大統領暗殺事件 (提供:ウィキペディア)
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※閲覧注意 ケネディ大統領暗殺の瞬間をとらえた高鮮明度動画

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ケネディは、シークレット・ガバメントが巨大化し、軍を動かすことで表の政府を牛耳ろうと
していることに気づき、テキサス石油産業への課税で石油メジャーを押さえ込み
世界規模のアメリカ軍基地の縮小と閉鎖で肥大化した軍の力を削こうとしました。
また実現はできませんでしたが、ベトナム戦争から全面撤退しようとしたのも軍産複合体を排して
健全な民主主義体制に戻すためでした。


暗殺の真犯人
・実行犯 James・E・Files(ジェイムズ・ファイルズ)
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・主犯 シンジケート(マフィア)
・真の主犯 軍産複合体(シークレットガバメント)

 JFK暗殺の号令を出した張本人とされているデイヴィッド・ロックフェラー
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暗殺までのいきさつ
ケネディは、就任直後発足させたベトナム問題特別委員会や統合参謀本部に対してアドバイスを
求めましたが
ベトナムの解決はアメリカ戦闘部隊の投入以外には考えられないという
アドバイスを受けました。

しかしケネディは、ベトナム問題の政治的解決を望んでいました。
そして1963年の12月までに軍事顧問団の1000名の引き上げ計画を発表、11月の死の直前には
1965年までにアメリカはベトナムから一切撤退することを発表しています。

このことは伝統的軍事優先の軍部、中央情報局(CIA)にとって耐えられない事態であり
さらに平和では利益を得ることのできない軍産複合体にとっても同様でに憎むべきことでした

ケネディがこうした積極策を推し進め始めた直後、シークレット・ガバメントの陰謀より
1963年11月22日ダラスにおいて大衆の前で殺されてしまう結果となりました。




仕組んだのはシークレット・ガバメントの意向のもとに動く軍部直轄の機関
NSA(国家安全保障局)であり、暗殺に協力したのは「CIA(中央情報局)」
FBI(連邦捜査局)」「ダラス市警察」「郡警察」各地方政治組織でした。 
つまりケネディの暗殺は軍が中心になって決行した軍事クーデターであり
そうさせたのは実質的にアメリカを支配するシークレット・ガバメントだったのです。

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1963年11月22日午後12時30分、1発目の銃弾が前方の丘から発射されケネディの首に当たります。
ケネディは胸を押さえる仕草で前かがみとなり、続いて2発目と3発目の銃弾がほぼ同時に
ダル・テックス・ビルと教科書倉庫ビルから発射されます。
前者はテキサス州知事コナリーの胸を撃ち抜き、後者は逸れました。
4発目も発射されましたが、コンクリートの一部を砕きました。
5発目がグラシノールの丘から発射され、ケネディの右後頭部が打ち砕かれました。
頭蓋骨と脳みそが飛び散り、妻のジャクリーンは驚いて車の後方、ボンネットによじ登り
その場から必死に逃げようとしました。
時間にして6秒です。
プロの殺し屋ファイルズにケネディ暗殺を持ちかけたチャールズ・ニコレッティ
シカゴ・マフィアの構成員です。
シカゴ・マフィアはイタリア系移民の自警団的組織から非合法集団へと成長した犯罪組織です。
マフィアとはFBIがつけた呼び名であり、マフィアは自分たちの組織をシンジケートと呼びます。
マフィアはシカゴの町の治安と秩序を非合法的に維持することにより利権を手にし
それを使って警察やFBI政治家まで影響力を持つ存在となりました。
禁酒法の時代は、密造酒、そののちはカジノ賭博、麻薬など、アメリカの裏社会を支配していて
最後に彼らが手にしようとしたのがアメリカ大統領でした。

アイルランド系移民であるケネディ一家が商売を始めたとき、世話になったのはマフィアです。
父のジョセフ・P・ケネディは密造酒で財産を築き、インサイダー取引によって莫大な富を得ました。
一時、下手を打って、ジョセフ・ケネディはマフィアから命を狙われたことがあり
このときシカゴ・マフィアのサム・ジアンカーナに助けを求めました。
危機を救くわれたジョセフ・ケネディは息子たちが政治家を志すようになっても、マフィアとの
つながりを保ち積極的に利用しました。

大統領選をめぐって、ジョン・F・ケネディがリチャード・ニクソンとの戦いを展開した際
裏で組織票を固めたのは、サム・ジアンカーナでした。
サム・ジアンカーナにとって目的は、親子に恩を売っておけば、自分の益になると考えたからです。
実際、父のジョセフ・P・ケネディのみならずジョン・F・ケネディ、弟のロバート・ケネディ
スキャンダル情報はマフィアが握っていました。
ケネディ一家は、とかく女性問題に弱く、ジョン・F・ケネディは女優マリリン・モンロー
愛人だったの有名です。
また、ジュデイス・C・エグスナーなど多くの愛人がいて、それら愛人はサム・ジアンカーナの愛人
でもあったのです。

しかし、大統領に就任するとケネディ一家の態度は変わり、ジョン・F・ケネディは理想を掲げ
世界平和を本気で説き始めました。
熱く語る若い大統領の演説にアメリカ国民は好意を抱き、さらに弟のロバート・ケネディ司法長官は
麻薬の根絶、非合法の暴力組織マフィアの撲滅を公然と宣言しました。
これにはマフィアも怒り、マフィアの連合組織はケネディ家、ケネディ大統領に報復しようとして
いました。
しかし、マフィアのボスのサム・ジアンカーナやジョニー・ロゼリ、ジミー・ホッファも暗殺されているので、裏に黒幕が存在しているのです。
ケネディ大統領の暗殺計画と実行はCIAとマフィアによる合作だったのです。
暗殺犯が複数いたことや暗殺犯を知っていたと思われる重要証言者たちも、NSAにより
出廷前に全員殺されています。


ケネディのあとを引き継いだジョンソンは、シークレット・ガバメントの操り人形で
ベトナム戦争の続行を決議しアメリカを泥沼の戦争状態へと引き込んでいきました。


ケネディの暗殺以降、民主党であれ共和党であれ、もはやシークレット・ガバメントに逆らう大統領
は存在していません。

大統領は、裏の政府の意向に従うかぎり権力保持が約束され、軍部を自由に動かすことができるだけ
の存在になり果ててしまったのです。

逆に言えばアメリカが軍隊を動かすときは、そこには必ずシークレット・ガバメントの思惑が
からんでいるのです。

 
シークレット・ガバメントの目的は、まず国連を牛耳り軍事力を持つ世界的統一機構に変貌させた
のちのアメリカによる世界統一です。

首謀者たちは、あからさまな陰謀を見せつけることによって、自らの力を誇示し
同時に大衆に無力感を与えようとするのです。


ケネディ暗殺研究家の第一人者であるジム・マースは、映画『JFK』の原作となった著書
『クロスファイア』に次のように書いています。


「あの日、ケネディ大統領は演説会で発表する演説原稿をポケットに持っていた。
さまざまな事柄が書かれており、その中の1つは『UFO問題の情報発表』であった。」

 

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