f6e54a5d1











レンデルシャムの森事件

(Rendlesham Forest incident)とは、1980年12月27日にイギリス・サフォーク州のレンデルシャム
の森で起こったUFO遭遇事件である。(提供:ウィキペディア)
nintchdbpict000056518855




















1980年12月25日午後10時30分ごろにイギリスの
サフォーク州ウッドブリッジ空軍基地近くの
レンデルシャムの森に正体不明の光体が降下していくのを基地の米軍警備兵が目撃した。

2名のパトロール兵が森に向かうと、そこで光り輝く金属製で直径幅2,7m高さ2,4mの丸みをおびた
三角形の飛行物体を発見しました。

物体を撮影したのち、なめらかな機体にも触れました。
兵士はカメラで写真を撮影しましたが、現像時にフィルムが感光してたと分かりました。
c75bee9f







また手帳に物体の特徴や機体に描かれていたマークのような文字を記しましたが
物体に近づくほど手の自由がきかなくなり文字が乱れて書くことになりました。

パトロール兵が近づくと飛行物体は姿を消しました。
軍用無線は使えませんでしたが物体が、消え去ったあとは無線通信機が通じるようになりました。

翌日の12月27日、副司令官チャールズ・L・ホルト中佐はUFOが再び戻ってきたと報告を受け
ホルト中佐と30名の兵士たちは森に入りました。

放射能測定を行ったところ、最高0,1ミリレントゲンのベータ/ガンマ量が検出されました。

森の彼方に光り輝くUFOが出現し、UFOはホルト中佐らに接近すると光線を照射し始めました。
そののちUFOはウッドブリッジ空軍基地に移動し、光線を倉庫へ照射しました。
兵士が光線の中に入リましたが何ともありませんでした。
UFOの目撃は口止めされ、ホルト中佐は正式な報告書「ホルト文書」を作成し軍に提出します。

そして、3年後にウッドブリッジ空軍基地に隣接するベントウォーターズ基地の元空軍警備員兵の
ラリー・ウォーレンが、「ホルト文書」をイギリスの新聞『ニューズ・オブ・ザ・ワールド』に
持ち込み世に知られました。

ラリー・ウォーレンは、事件の夜に森の中で軍の司令官たちが3人のエイリアンと会見していた
証言しました。




1980年当時、最新鋭の極秘兵器プラズマランチャーがイギリスのウッドブリッジ空軍基地に
配備されていていました。
62976c01














しかし副司令官であったチャールズ・ホルト中佐や兵士たちは知らされていませんでした。

演出されたUFO事件の目撃者に彼らは仕立てられたのです。

レンデルシャム事件における2回目の事件、1980年12月27/28日の深夜早朝、レンデルシャムの森
ではプラズマランチャーによるUFO事件の演出が大々的に行われていました。

最初に出現したプラズマランチャーによって生み出された赤い火の玉は、UFOはホルト中佐の言葉
を借りれば太陽のようでした。

赤い火の玉はレンデルシャムの森の中を移動して、ついにはホルト中佐たちに接近し頭上で一段と
激しく輝くと5つに分裂し消滅しました。

続いてUFOは2機が出現しますが、色の違いは出力の違いでエネルギーが高くなればなるほど
赤から青に変わります。


ホルト中佐たちの無線が使えなくなったのもプラズマから生じる電磁波障害です。
電磁波障害はレンデルシャムの森のみならず、周辺の民家が12月27日から数日間テレビや電灯が
ついたり消えたりする現象がありました。

電磁波に敏感な動物たちは、当日、マイクロ波を察知して騒ぎました。

レンデルシャムの森に現れた物体は、森の中を木々にぶつかりながら移動し三脚を伸ばして
着陸していたUFOは三角形をしていました。

兵士が描いたスケッチを見ると、三角形のボディの中央に大きな垂直尾翼のような部位があり
表面はなめらかで、文字のようなものが刻まれていたといいます。

アメリカ軍エリア51からイギリスにプラズマで移動させたナチス・ドイツが開発していた戦闘機DM-1」です。
DM-1アカフリーク・ダルムシュタット/アカフリーク・ミュンヘン DM1
(Akaflieg Darmstadt/Akaflieg München DM1)は1944年からドイツで設計/製造された
グライダーの実験機である。(提供:ウィキペディア)Akaflieg_DM_1
6186728f08919eb434f2e121d8ce202b60ebe88

6214c8f21e42e56c06e418c2






































































































SAH-Lippish_DM-1兵士が機体に見た文字は、ベル形円盤と同様、ナチス・ドイツが刻んだルーン文字でした。
ice_screenshot_20170722-093141300250








この「DM-1」はテストフライトをした実験機ではなく、外見は同じに作られたレアメタル製の
風洞実験用の実験機でした。

風洞実験の際、強い風を当てるため強固な三脚もありました。
兵士が撮影したフィルムが感光していたのは、プラズマから発せられた放射線と電磁波が
原因だったのです。
6ac2e7e1






















アメリカ軍はレンデルシャムの森にハリボテのUFOを置き、河童であるグレイを3体連れてきて
司令官と会談しているような光景をウォーレンに見せました。

そして、ウォーレンの証言は軍がこの事件をエイリアンの仕業とするために、ウォーレンを使い
新聞社に情報を流させたのです。

このころのアメリカ製UFOの初期のモデルでは高速飛行はできず、さらには高熱の問題も
クリアできていませんでした。
2dc73773








プラズマ飛行も十分ではなく機体はジェットエンジンも搭載したハイブリッド型が主流で
プラズマが発する高温や電磁波をなかなか制御できなかったのです。


アメリカ製UFOの開発は主にネバダ州のエリア51で行われましたが、実験的にどこまで飛翔が
可能かというテストが計画されると地上に墜落して民間人に目撃されてしまったらどうするか
また民間人に被害が出た場合、どうアメリカ製UFOの存在を隠蔽するかが
重要であると考えられていました。


アメリカ空軍は身内の兵士たちをだましてまでもUFO事件を演出したのは、アメリカ製UFOを
目撃されてもそれが異星人の乗り物でありアメリカ軍が回収していると思わせるためです。

そして、異星人とアメリカ政府は密かに通じており密約を行っているという噂を流し、これを
UFO研究家を使って増長させ、場合によっては怪しい機密文書を流したりアメリカ軍から逃亡した
研究者を登場させ異星人の存在を語らせます。

そして世間が注目したのち、証拠とされた文書が偽物であることを暴露し証言者の社会的信用を
失墜させ一気に噂の信憑性を落とすのです。
レンデルシャム事件も、その一環なのです。


レンデルシャム事件からわずか数日後の1980年12月29日の夜、アメリカ、テキサス州
ヒューストン郊外でテストフライト中のアメリカ製UFOが故障し地上に墜落しそうになり
一連の光景を民間人に目撃されてしまいます。

キャッシュ&ランドラム事件です。
キャッシュ・ランドラム事件











キャッシュランドラム事件は報告された未確認飛行物体からの目撃米国人の証人が
自分の健康に被害を及ぼしたと主張しており、1980年に。民事裁判手続の結果となった
ごく少数のUFO事件の1つです。
目撃者と自動車に物理的な影響が報告されているため、第2種の密接な接近として
分類することができます。(提供:ウィキペディア)
その夜、車に乗って帰宅中のべティ・キャッシュ夫人(当時52歳)とビッキー・ランドラム夫人
(当時57歳)、ビッキー夫人の孫のコルビー・ランドラム少年(当時7歳)が明るく輝く
巨大飛行物体に遭遇しました。
3191798_orig

















興味をもった彼らは車を停めて外に出ると、今にも道路に降下しようとする巨大UFOは
金属音を響かせ下から炎を噴出していました。
d8189943

















ボディーの中央部には小さな丸い構造物が窓のように一列に並び、UFOの周辺には黒い軍の
CH-47チヌークヘリコプターが飛んでいました。 
彼女たちは車の中に戻りしばらく眺めていると、UFOは徐々に上昇し姿を消しました。

そののち5kmほど離れた所で、再び彼女たちは同じUFOを目撃し周辺を護衛するかのように
飛ぶヘリコプターの存在も23機まで確認できました。


こののち彼女たちはUFOに接近した際に浴びた光と熱が原因で顔や腕などが日焼けした状態となり
激しい嘔吐に見舞われました。

日焼けは火傷のように水ぶくれができ全身が腫れました。
年末だったので適切な治療を受けることができず、年明けには髪の毛がごっそり抜けはじめます。
両目は白内障緑内障になり、脱水症状になりました。

彼女たちは瀕死の状態で病院にたどりつき、そこで受けた診断は、放射線被曝でした。
後日、彼女たちはアメリカ軍を相手取って軍の極秘実験によって健康被害を受けたと
訴訟を起こしました。

UFO事件は一気に全世界に知られますが、当局は全面的に否定しました。



アメリカ軍はUFO問題の真相を隠すため、異性人のUFOとして広まることを期待していました。

NSAは『MJ-12文書』を作り上げ、これを当局の手先にしたUFO研究家ビル・ムーアを使って
世間に広めました。
56
「MJ-12(マジェスティック・トゥエルブ)」とは、アメリカ合衆国の政府高官や科学者など12人の専門家で構成されており、宇宙人に関する調査や宇宙人との接触や交渉を、過去60年にわたって秘密裏に行ってきたとされるアメリカ合衆国政府内の委員会の名称です。


MJ-12事件の張本人であるUFO情報を混乱させるために働いた当局のエージェントになった
ビル・ムーアはCIAと密かにコンタクトし、わざと偽情報を流したことが明らかになっています。



そして、最終的に『MJ-12文書』が偽物であることを暴露して、異星人と政府の密約はうそである
という印象を一般大衆に与えて「キャッシュ&ランドルム事件」もまた
荒唐無稽なUFO事件として
認識されるようになりました。


ハイブリッド型の初期モデルの中でもキャッシュらが目撃したタイプは故障が多く、事件当日も
ヒューストンのランドルフ空軍基地へ向かう途中に致命的なトラブルが発生し、多数のヘリコプター
に護衛されながら移送される事態となったのです。


ハンス・カムラーが開発したベル形円盤は改良を重ねながら性能を上げていきますが、その過程で
プラズマによる飛行原理が導入され大きな技術革新がありました。

きっかけは1947年7月に起こった本物のエイリアン・クラフトのロズウェルUFO墜落事件です。
CAASKDV300250








3人のエイリアンの死体とともに、墜落したデルタUFOを回収したアメリカ軍はプラズマ動力に
気づき、プラズマ兵器プラズナーを開発する過程でプラズマによる飛行原理をほぼ解明します。


プラズマを発生させ、機体ごと包めば自由に空間を移動できます。
当時は、プラズマが発する高温と放射線のため有人飛行は無理でした。
最初からプラズマ飛行の円盤が作られたのでなく、当初は通常のロケットエンジンと
プラズマ発生装置を搭載した
ハイブリッドタイプで、改良型を重ねたベル形円盤はスピンドル形へと
モデルチェンジしハイブリッド機種へと進化しました。


1980年、12月25日、27日に「レンデルシャム事件」があり、29日に「ビッキー・ランドラム事件」
がありました。

こららをカムフラージュするためにウォーレンに司令官と河童であるグレイを会談しているように
演じている光景を見せたのです。

ウォーレンが体験したUFO着陸事件の日付と日付を改ざんされた「ホルト文書」にある2回目の
UFO飛来事件の日付が同じく1980年12月29/30日の深夜早朝であったことで信じ込んで
しまいましたが、これは罠でした。
Halt_Memorandum



























ホルト中佐が事件の報告書として書いた元の「ホルト文書」は、まずNSAの手にわたり
ホルトが使ったタイプライターを使い彼のサインも偽造し日付だけを変えてコピーが作られました。

目的は情報の混乱と信用失墜です。



「ホルト文書」が公になった段階で、驚いたのはホルト中佐でした。
サインも内容も間違いないのですが、日付がすべて2日間ずれていて、しかも最初のUFO着陸事件
と2回目のUFO飛来事件には、ラリー・ウォーレンなる兵士はかかわっていないのです。

当然ながらマスコミから裏付けの取材を受けたときには、ウォーレンの証言は嘘であると
主張しました。

嘘つきよばわりされるウォーレンもホルト中佐のほうこそ真実を話していないと主張しました。
こうして当事者たちの証言が食い違うことによって、結局あれだけ騒がれたレンデルシャム事件もまた
信用できないということになり、世間からはトンデモ呼ばわりされました。
(提供:佐藤 昭信・末日聖徒イエス・キリスト教会 編纂:武井 泄月袴)
fa92a9bfeb00cff3