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アダムスキーが見たUFOはエイリアンのものではなく
ナチスが開発したハウニブ2という戦闘機でした。



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何故アダムスキーは嘘を言ったのでしょうか。それとも騙されていたのでしょうか。
検証してみましょう。

RFZ-5型円盤はコードネーム「ハウニブHAUNEBUとよばれ、ハウニブ・シリーズは以後
SS・E4(ナチスの親衛隊SSの中のE4と呼ばれるセクション)に継承され
RFZ-5型円盤ハウニブ2が開発され量産化にこぎつけます。

※下記の動画はハウニブのテストフライトの模様です
 

アダムスキーが目撃した空飛ぶ円盤は「改良型RFZ-5型円盤ハウニブ2」でした。
アダムスキーはそのこと十分知っていたうえで自分は金星人が乗ったUFOを目撃し
写真に収めたと主張しました。
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アダムスキーが語るUFO遭遇事件の全貌

1952年11月20日、アダムスキーはカリフォルニア州アリゾナ州の間に位置する
モハーヴェ砂漠に車で出かけました。
上空に巨大な葉巻型UFOが現れ、しばらくすると小型偵察機が着陸しUFOから出てきた男は
非常に美しい顔立ちをしていました。

長い金髪に灰緑色の瞳で身長は約165cm体重は約60kgで年齢は28歳ぐらいに見えました。
服装はつなぎめのない上下一体となったスキーウェアのようで腰には幅20cmのベルトを
していました。
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コミュニケーションをしようと話をし始めると、言葉が通じません。

そこで身振り手振りのボディランゲージでコミュニケーションをしようとすると同時に
テレパシーによる交信を試みることにしました。
太陽を指差しその周りに円を描き水星といい、もう1つ外側に円を描いて金星といい
もう1つ円を描いて地球といいながら地面を指差しました。

こうして男が金星からやってきた異星人であることが分かったのです。

なぜ地球にやってきたかという問いに対しては、地球人と友好的な関係を結ぼうとしており
現在行われている核兵器の実験が危険なものであることを警告するために来たらしい
ことが分かりました。

さらに金星人によれば太陽系の惑星にはすべて異星人が住んでいて、異星人は地球人と
変わらない姿をしていますが、多くの地球人の前に姿を現すのは危険であると考えており
友好的な相手を選んでコンタクトするといいます。


約1時間後、最後にアダムスキーは写真撮影を申し出ましたが金星人は拒否して
先に撮影した写真のフィルムを渡すよう要求しました。

友好的な関係を壊したくないアダムスキーは、カメラからフィルムを取り出すと金星人に差し出すと
金星人はUFOに乗り込み上空に消え去ったのです。


この間、仲間の6人は遠くからアダムスキーと金星人の会見をずっと見守っていました。
UFOが去ったことを確認した彼らは、アダムスキーのもとに来て今起こったことを質問しました。
また現場に残された金星人の足跡を撮影やスケッチし石膏型にとりました。
彼らは帰る途中に新聞社に報告することとなり、記者はアダムスキーらの体験を半信半疑でしたが
証拠として撮影したフィルムのホルダーを2枚渡しました。

こうして4日後の11月24日、金星人とのコンタクト事件はカリフォルニア州オーシャンサイドの
新聞『フェニックス・ガゼット』に掲載され、全米に騒動を巻き起こすことになったのです。


以後アダムスキーと金星人のコンタクトは続きついには空飛ぶ円盤に乗ってほかの惑星を訪問します。adamuski001
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1952年12月13日、ジョージ・アダムスキーは再び金星人が乗った小型UFOと遭遇したといいます。

その日の朝、アダムスキーは自宅近くでいつものように観測を続けていると上空で戦闘機が
発する音が響きました。

9時ごろ再び閃光が現れると金星人が乗った小型UFOが音もなく、こちらへと滑空してきて
UFOは付近の谷間の上空90~150m辺りで滞空し、アダムスキーは望遠鏡に設置したカメラで
1952年12月13日朝、アメリカ カリフォルニア州パロマーガーデンズで撮影しました。
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しばらくすると小型UFOは約30m上空にまで接近し機体の窓が開き、11月20日に渡した
アダムスキーのフィルム・ホルダーをを下に落とすと、かすかに手を振りました。

UFOはアダムスキーの頭上をとおりすぎ、そのまま北の方角へと飛び去ったといいます。
飛び去った先100mの地点には、UFOの飛来を待っていたジェロルド・べーカー空軍退役軍曹が
UFOが来たら写真撮影するために待機していました。

UFOはべーカー元軍曹の頭上を飛行し、写真撮影をすることに成功しました。

アダムスキーは金星人が投下したフィルム・ホルダーを回収すると、先ほど撮影したフィルムと
一緒に現像に出しました。

この日に撮影したUFO写真は写っていましたが、金星人に預けた写真には11月20日に撮影した
はずのUFOの映像の薬品が1度きれいに流され代わりに別の映像が写しこまれていました。


その映像には見慣れない文字とも記号ともつかないものが多数ちりばめられており
その中心に紡錘形の図形が大きく描かれていました。

紡錘形の中には卍のような図形や、解読不能の記号がいくつかありました。
これと同じものがブラジルのペドラピンターダ遺跡から発見されています。
フランスの考古学者マルセル・F・オムが著した『太陽の息子たち』には、先住民が描いた
壁画写真が掲載されていて構図や文字がほとんど同一でした。

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       上、アダムスキーが金星人から預かった写真に写しこまれた、解読不能の文字。
       下、ブラジルのペドラピンターダ遺跡の文字。
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ジョージ・アダムスキーが体験した1952年11月20日の金星人コンタクト事件と同年
12月13日のUFO遭遇事件については、それ以前のUFO目撃体験と併せてイギリス首相
ウィンストン・チャーチルの従兄弟、デスモンド・レスリーとの共著の
空飛ぶ円盤は着陸した』という本に収録されています。

コンタクトの翌年1953年2月18日、アダムスキーはロサンゼルスの下町にある
クラークホテルに宿泊します。

知り合いの女性と会ったのち、ホテルのロビーで停んでいると10時30分ごろにどこからともなく
2人の男が現れアダムスキーに声をかけてきました。

そして、差し伸べた手に触れた瞬間、昨年の金星人とのコンタクトがよみがえってきました。
アダムスキーが金星人と握手をしようとしたとき、相手は手を握らずに軽く掌と掌を
合わせてきたのでした。

それど同じ感覚を得て、彼らは地球人ではなくほかの惑星から来たスペースピープルだと
アダムスキーは理解しました。


2人は、金星人とは違い英語を話しました。
2人の男たちはアダムスキーと車でハイウェイを走りながら、自分たちは地球人とコンタクトする
ために選ばれた火星人と土星人と明かして、これまでに何人か地球人とコンタクトしてきたが
成功していなく、中には死んだ者もいると話しました。

今回アダムスキーが友好的でかつ異星人にも理解があるので、姿を現したのだといいます。

車は砂漠地帯へ入り、やがて目の前に高さ4~6mで外見は金星人が乗っていた小型UFOと
そっくりな1機のUFOが現れました。

そのUFOのそばには最初にコンタクトした金星人がいて、英語を話すことができなかった
金星人が普通に英語で会話できました。

UFOが故障したので修理していたのだといいます。
こうしてアダムスキーは3人の異星人とUFOに乗って、宇宙旅行へと出かけることになりました。 

証言の検証
アダムスキーの話は科学的に間違っているな点が多く、最初の『空飛ぶ円盤実見記』と
2冊目の『空飛ぶ円盤同乗記』の内容は互いに矛盾しており整合性が取れていません。
3冊目以降の本にいたっては、異星人の存在よりも転生や生命科学、テレパシー、宇宙の創造神など
宗教色が強くなり、しまいには金星人の前世はイエス・キリストであり、アダムスキーの前世は
十二使徒の1人だといいはじめました。
そしてイエスは十字架刑で死んだのではなく、仮死状態のままペースピープルに助けられて蘇生し
しばらく地上で復活した神の子として活動したのち、故郷である金星へと帰っていったのが
真相なのだといいます。

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アダムスキーが自らのコンタクト体験を記した著書は、当時は多くの人に影響を与え
今もその思想を支持する人はいます。 


フイルムホルダーを投下したときに撮影した3枚の有名な写真については、被写体であるUFOの
ピントが合っているところとぼけているところがありいます。

証言によればカメラとの距離は90~150mあったといいますが、これだけ離れている物体を
望遠レンズで撮影した場合、部分的にピントが合うはずはないのです。

一部にピントが合っているということはカメラと物体の距離はきわめて近いことを意味し
アダムスキーはUFOの大きさを10.5mだといっていますが、実際はもっと小さな物体であるとしか
考えられません。


横向きの写真に関しては、コンピューターの画像解析の結果、UFOの頂上から
糸らしき物が写っているという指摘もあります。

また葉巻形UFOから小型のUFOが光りながら出てくる写真に関しては、画像がきわめて
平面的で紙のような物をガラスに張り付けて撮影したのではないかという指摘もあります。

そして、べーカー元軍曹は向かってくるUFOを下から撮影したということになっていますが
これもアダムスキーが撮影しました。


暴露したのはべーカー自身で、ベーカーは勝手に名前を使われただけでUFOは見ていないし
撮影はしていないと証言しました。

アダムスキーからあなたが撮影したことにすれば金儲けができると持ちかけられたと述べ
さらには1952年11月20日の事件以前、遭遇内容とそっくり同じ内容を語るアダムスキーの
肉声テープを聞いたとも話しました。
 
 


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左はアダムスキーが撮影した8mmフィルムで、右は模型を使って再現した写真です。

撮影に使用した模型を透明のガラスに貼り付け撮影しと思われます。
 
アダムスキーは何枚ものUFO写真を撮影したとして公開していますが、アダムスキーが語る
コンタクト・ストーリーは基本的にフィクションです。

アメリカ軍がUFO遭遇事件を演出しアダムスキーをだましました。
 
当時、アダムスキーは神秘思想を持つ売れない小説家でした。
アダムスキーが自ら語るには、アダムスキーはポーランド王家の末喬であるといいます。
ポーランド王国はロシアやプロシア、オーストリアによって何度か分割され1795年に崩壊します。
このときポーランド王家は消滅しましたが末裔は残りました。
アダムスキーの父親は、その王家の血統流といいます。

第一次世界大戦中の1917年、ポーランドは念願の独立を果たしますが実際はドイツ帝国の属国でした。
現在のような形で国家が再興したのは、第二次世界大戦後です。
この間、ポーランド人はソ連やアメリカなどへ亡命する者も少なくありませんでした。

アダムスキーも2歳までポーランドにいましたが、そののちに家族がアメリカへ移住します。
長らく周辺の国々によって翻弄されたポーランド人は反骨精神に満ちており外国においても
同族意識が強くアメリカにおいて彼らはポーランド人による独自のコミュニティ
「ポーランドの家」を結成していました。

ポーランド系移民であるアダムスキーは、このポーランドの家に所属しロサンゼルスの支部に
しばしば出席していました。


そこで、ポーランド系移民になりすましたハンスカムラーがアダムスキーに接近し、カムラーは
アダムスキーの思想や小説を褒め親しくなったところで、こう切り出しました。

「アダムスキーさん、あなたの書いたSF小説『宇宙のパイオニア』はよく書けています。
とてもフィクションとは思えない。実は私はアメリカ軍の秘密を知る立場にありまして
同じポーランド系移民であるアダムスキーさんだけにお話しますが
あの小説の内容は事実に近いです。
異星人は実在します。
アメリカ軍は、それを知っていながら、国民に知らせていないのです。」

カムラーは巨大な葉巻形母船マザーシップや小型の観測機が空中に浮かんでいる写真を見せました。
何度かUFOらしき物を見ていたアダムスキーは、空飛ぶ円盤が実在すると確信しました。
しかも、自分は特別な存在であり、奇しくも小説の形で宇宙の真理を表現していたといわれたのです。

これらの写真に写っている空飛ぶ円盤はエイリアン・クラフトではなく、カムラーが開発を続ける
アメリカ製UFOです。

大型の葉巻形母船は墜落する以前にテスト・フライトを行った葉巻型母船アンドロメダであり
小型の観測機は改良型のRFZ-5型円盤ハウニブ2でした。
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これらを金星人の空飛ぶ円盤だとアダムスキーに信じ込ませたカムラーは、金星人とコンタクトも
可能であるとして、アダムスキーにUFOを見せ金星人になりすました軍人を会わせるのです。

そして、アダムスキーは、カムラーを信じ大衆をだます情報操作の加害者側になってしまうのです。

アダムスキーの著書『空飛ぶ円盤実見記』で、アダムスキーは上空に巨大な葉巻形母船が
浮かんでおり仲間6人と目撃したと述べていますが、実際はこのときに葉巻形母船は
現れてはいません。

これはアダムスキーの虚言です。

事実、6人の証言者の1人アル・べーリーは、誰も空を飛んでいる円盤は目撃していないと
暴露しています。

さらに著書では最初の葉巻形母船の出現後、その真下にアダムスキーが車で移動したことに
なっています。

車を運転したルーシー・マクニギス夫人とアル・べーリーが同行したものの、コンタクトする
直前で仲間の所に引き返すようアダムスキーに指示されています。

実際に金星人と会見したのはアダムスキーだけであり、仲間6人は双眼鏡で遠くから
見ていたにすぎないのです。


1人になったアダムスキーは、金星人と遭遇します。
その際、観測機が谷間に浮かんでいたといいます。
しかし、アル・べーリーが証言しているように空に空飛ぶ円盤は浮かんではおらず誰も
目撃していません。


アダムスキーの証言に真実もあります。
デザートセンターの峡谷には、確かに空飛ぶ円盤が着陸していたのです。
仲間6人からは見えませんでしたが、アダムスキー型UFOが改良型ハウニブ2があったのです。
ハウニブ2の写真を見せて、UFOが実在することを信じ込ませたのです。

 

カムラーの罠にはまったアダムスキーがモハーヴェ砂漠での遭遇事件の真相は、改良型ハウニブ2と
ドイツ系アメリカ人の兵士です。

アダムスキーは約束どおり金星人の空飛ぶ円盤を目にしたと思ったために、現れた人間を見て
金星人だと思い込みました。

金星人に扮していたのはアメリカ軍の兵士でしたが、当時SF映画に登場する異星人の姿
そのままでした。 

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画像は金星人とのコンタクトの1年前1951年に公開されたSF映画『
地球の静止する日』の
宇宙からの訪問者クラトゥです。


 

金星人との会見は身振り手振りのほか、テレパシーで交信したことになっていますが
アダムスキーの虚言です。

金星人演じる美形の兵士は、ボディランゲージを交えながらアダムスキーが口にした言葉を
あたかも幼児が学習するかのように真似たにすぎません。

金星人を演じたアメリカ軍の兵士の姿は、アダムスキーのみならず遠くにいた仲間6人たちも
見ていました。

アリス・ウェルズは双眼鏡で金星人を観察し、その姿をスケッチに残しています。
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以上が金星人との会見の真相です。
実際に金星人とコンタクトしたと思い込んだアダムスキーは、自分の思想が正しく自分は
異星人に選ばれたという自負がありました。

これが彼の虚言や妄想に拍車をかけ、アダムスキーの空飛ぶ円盤幻想は増長し科学的に正しくない
哲学になっていきました。


金星人との会見によって、アダムスキーは全世界から注目を浴び、宇宙哲学の教団
ロイヤル・オーダー・オブ・チベットには続々と信者が集まり組織は巨大化しました。

それと同時に、異星人に関するアダムスキーの言動はどんどん派手になり、ついには小説
『宇宙のパイオニア』を焼き直してノンフィクションとした『
空飛ぶ円盤同乗記』を発表し
自分は異星人の空飛ぶ円盤で宇宙へ行ったとうそを公言するようになります。


カムラーの狙いどおりUFO情報を混乱させるためにアダムスキーは働きました。 
やがて真相を知ったアダムスキーでしたが名声と金儲けのためにカムラーの陰謀の片棒を担ぎ
UFOコンタクティーとして自らの神秘思想をもって広めることにしたのです。


NSAはアダムスキーに協力して教団を大きくし政府関係者や要人たちと引き合わせ
マスコミへの露出をプロデュースしました。

アダムスキーは、アメリカ政府の協力で、イギリス王室などの海外の要人と頻繁に会っているのです。

そして、NSAはアダムスキーの証言が真実であるかのように、アメリカ以外の国でも
改良型のハウニブ2を飛ばし多くの人に目撃させたのです。


1954年2月15日、イギリスのランカシャー地方のコニストンで、当時13歳の
スティーブン・ダービシャーと従弟で8歳のエイドリアン・マイヤーが近くの
コニストン・オールドマン山に登って遊んでいると銀色の丸い形をしたUFOが現れました。

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ダービシャーはバードウォッチング用に持ってきた蛇腹式の小型カメラを構えてシャッターを
2回切りました。

イギリス人のレオナード・G・クランプはアダムスキーが撮影したUFO写真と詳細に比較し
正射影法によって対比させたところ両者はまったく同じ機体であることが判明し
著書『宇宙・重力・空飛ぶ円盤』で発表しました。

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ハウニブ2はやがてアダムスキー型UFOとよばれるようになり、全世界の人々に
認識されるまでになりました。

カムラーがアダムスキーに見せた最初のUFO写真に写っていた空飛ぶ円盤は、いずれも本物の
葉巻形母船アンドロメダと改良型のハウニブ2でしたが、これらの写真はアダムスキーの手には
渡っていません。


アダムスキー自身が撮影した空飛ぶ円盤の写真はすべてトリックです。
そのための模型をカムラーはアダムスキーにわたし、アダムスキーは精巧に作られた模型を
もっともらしく撮影したのです。

コンタクティとして有名となったアダムスキーには数多くの信者が集まりましたが
彼の話す内容に矛盾が指摘され宇宙開発が進んでくくると徐々にアダムスキーから離れる人も
出ました。

古くからの仲間も距離を置くようになり、教団は徐々に勢いをなくしていき教団の後継者争いで
分裂し世間からは忘れられた存在になっていきました。


アダムスキーの信奉者であったレイ・スタンフォードが、アダムスキー自身の言葉として
こう書いています。

「禁酒法時代、私には『ロイヤル・オーダー・オブ・チベット』があった。それは表向きの話。
ワインが醸造できたんだ……南カリフォルニア住人の半数に十分行き渡るだけのワインを
醸造していた。
実際、私は辺りで一番の酒類密売人だった。
それからあのルーズベルトが出てきて禁酒法を叩きつぶした。
あのルーズベルトさえ出てこなければ、こんな円盤ごっこなどに巻き込まれないですんだだろう。」

当時、飲酒は禁じられていましたが、宗教儀式は別でキリスト教の聖餐式に使うワインは
例外とされていました。

アダムスキーは宗教儀式に使うためと称して酒を密売していたのです。
アダムスキーの宇宙哲学やロイヤル・オーダー・オブ・チベットも空飛ぶ円盤や異星人との
コンタクト・ストーリーも金儲けのためだったのです。


アダムスキーの晩年は、かなり寂しい状況だったらしいです。
アダムスキーは1965年4月23日、肺炎と心臓発作のために74歳で死亡しました。


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