marco0








マルコポーロ事件
とは、1995年2月に日本の文藝春秋が発行していた雑誌
『マルコポーロ』が、内科医西岡昌紀が寄稿したホロコーストを否定する内容の記事を掲載したこと
に対して、アメリカのユダヤ人団体サイモン・ウィーゼンタール・センターなどからの抗議を受けて
同誌を自主廃刊したこと、及び当時の社長や編集長が辞任解任された事態
を指す。
hqdefault (2)














この事件は、日本における「歴史修正主義」あるいは「ホロコースト否認論」を巡る状況のなかで
最も広範囲に話題となったもののひとつである。
また、日本の出版界の商業主義、過度な広告依存、スポンサーへの過剰萎縮などの議論のきっかけ
となった。
ice_screenshot_20171101-231657














概要
発端は、文藝春秋が発行していた雑誌『マルコポーロ』の1995年2月号に掲載された記事
「戦後世界史最大のタブー。ナチ『ガス室』はなかった。」であった。
記事は国立病院に勤務する西岡昌紀が、アウシュヴィッツとマイダネクに観光に訪れた際に
撮影などを行ったのち1989年頃から収集した英文図書に基づき執筆したもので
掲載にあたっての題名は『マルコポーロ』編集部が決めたものであった。
その内容は、ナチス党政権下のドイツがユダヤ人を差別、迫害したことは明白な史実としながらも
そのナチス党政権下のドイツがユダヤ人を「絶滅」しようとした、とする従来の主張には根拠がない
その手段として使用されたとするガス室は、それらの位置や構造からみて、ソ連もしくは
ポーランドが戦後捏造した物としか考えられない。
収容所でユダヤ人が大量死した真の理由は、ガス室による処刑ではなく、発疹チフスなどによる
病死である
などというものであった。

この記事を掲載した『マルコポーロ』1995年2月号が発売されたのは1995年1月17日で
阪神大震災が起きた日で震災報道に覆い隠されていた

また国内の多くの識者は、記事の内容そのものがニュルンベルク裁判におけるナチス戦犯と連合国
による証拠と弁論に基づく判決と戦犯処刑によって決着した戦後処理事案の蒸し返しにすぎないと
受け止め、話題性がないとして沈黙を守った。
雑誌発売を受けて直ちに、アメリカ合衆国のユダヤ人団体とイスラエル大使館が、同誌を発行する
文藝春秋社に抗議を開始
した。
特にサイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)が内外の企業に対して、週刊文春を
はじめとする文藝春秋社発行雑誌全体への広告出稿をボイコットするよう呼びかけた

ただしイスラエル大使館やSWCは終始一貫してマルコポーロの廃刊は求めていない。
この事態により事件の話題性とニュースバリューは高まり、マスコミや識者から事件が注目され
言論界や国民各層から記事への批判や文芸春秋への抗議が寄せられるようになった。

『マルコポーロ』編集部は、当初、抗議団体に反論のページを提供するなどして記事事実の撤回と
謝罪を拒んでいたが、結局、文藝春秋社は『マルコポーロ』自体の自発廃刊と
社長・『マルコポーロ』編集長ら雑誌編集・発行に対して責任のある人々の解任を決定した。
執筆者の西岡や木村愛二などホロコースト見直し論者はこの決定に抗議を展開した。
また、歴史認識と言論の責任をめぐって広範な議論が起こった
(廃刊抗議者が論ずるようなナチ賛美はヨーロッパでは犯罪と定義されている)。
また、この事件をきっかけとして、過度な広告収入への依存に対する反省や出版社のスポンサー
からの自立についても議論が広がった。

西岡論文による主張
maxresdefault (2)














まず、事実上全ての歴史家が認めているように、ヒトラーが「ユダヤ人絶滅」を命じた命令書は
今日まで発見されていない。
戦後、アウシュヴィッツで公開されている「ガス室」のなかには、ドイツ人用の病院の前に
面しているものもある。
これでは、死刑後青酸ガスを排気すると、向かいの病院のドイツ人達の生命が脅かされてしまう。
場所と構造があまりにもおかしい。
「ガス室」の詳細を検討すると、換気扇がないし、ガスの素材であるツィクロンBを加熱するための
装置もない。
以上の理由をもって、西岡はアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所内のガス室とユダヤ人虐殺の
計画自体は存在しない、と主張した。

冒頭で、著者はこう述べる。
獣をいけにえとして捧げ火で焼くというユダヤ教の儀式「ホロコースト」と言う。
これが転じて、「ナチスのユダヤ人虐殺」を意味するようになったのは、ナチスドイツが
アウシュヴィッツなどの強制収容所にガス室を作り、毒ガスを使って計画的に虐殺
さらにそれを焼いた――という恐ろしい話とイメージが重なったからだ。
ところが、このホロコーストが作り話だったという説が今、欧米で野火のように広がりはじめている。
戦後五十年近くもの間、語られてきたこの「毒ガス虐殺」が作り話だといわれて
驚かない人はいないだろう。
私自身、この話を六年前に英文で読んだ時には、驚天動地の思いをしたものである。
私は一医師にすぎないが、ふとした機会に、この論争を知り、欧米での各種の文献を読み漁る
ようになった。そして、今では次のような確信に達している。

日本の新聞やテレビが言っていることは全部忘れてほしい。
それから『シンドラーのリスト』も一旦忘れてほしい。
「ホロコースト」は、作り話だった。

ガス室はなかった
アウシュヴィッツにも他のどの収容所にも処刑用ガス室などは存在しなかった
現在、ポーランドのアウシュヴィッツ収容所跡で公開されている「ガス室」なるものは
戦後ポーランドの共産主義政権か、または同国を支配し続けたソ連が捏造した物である。
アウシュヴィッツでもどこでも、第二次大戦中のドイツ占領地域で、「ガス室」による
「ユダヤ人大量虐殺」などは一度も行なわれていなかったのだ。
こう断言する理由は後述するが、その前に二つのことを言っておきたい。
まず、第一に私は、第二次世界大戦中にドイツが採ったユダヤ人政策を弁護するつもりは
全くないということである。
たとえ「ガス室による大量虐殺」が行なわれていなかったとしても、ドイツが罪のないユダヤ人を
苦しめたことは明白な歴史的事実である。
私はその事実を否定する者ではないことをここで明白にしておく。
第二は、近年、アメリカやヨーロッパで、「ホロコースト」の内容に疑問を抱人々が急速に
増えつつあるのに、日本の新聞、テレビが、そのことを報道せず、結果的にはそのことを
日本人の目から隠しているという事実
である。

最近は、論争を断片的に伝える報道もでてきたが、そうした報道は、「ホロコースト」に
疑問を投げかける者は皆「ネオナチ」か「極右」であるかのような「解説」を加えている。
事実は全く違う。
「ホロコースト」に疑問を投げかける人々の中には政治的には明白に反ナチスの立場を取る知識人や
ユダヤ人さえ多数含まれているのだ。
例えば、プリンストン大学のアーノ・メーヤー教授は子供の頃ナチスの迫害を受けアメリカに
わたったユダヤ人の一人で、日本でも有名なきわめて権威ある歴史家である。
彼は「ガス室」の存在そのものまでは否定しない「穏健な」論者だが、それでもユダヤ人の大多数は「ガス室」で殺されたのではないという「驚くべき」主張をしている。
このことは一九八九年六月十五日号のニューズウィーク日本版でも取り上げられている。
また、同じくユダヤ系アメリカ人のもっと若い世代に属するデイヴィッド・コウルという
ビデオ作家がいる。
彼は、ユダヤ人であるにもかかわらず、「ガス室によるユダヤ人虐殺」は作り話だと、はっきり主張
しているのである。
「ネオナチ」の中にも「ホロコースト幻説」を取り上げる人間はいるだろうが、ユダヤ人の中にも
「ホロコースト」はなかったと主張する人間が現われていることは注目に値する。
とにかく、まず、日本の新聞やテレビが言っていることは全部忘れてほしい。
それから、『シンドラーのリスト』も一旦忘れて頂きたい。映画は、歴史ではないのだから。

そこで皆さんにまず、何が真実であったのかを先に言ってしまおう。
欧米の幾多の研究を一口に要約し結論を述べ、証拠はあとから示そう。
そうした方が、皆さんにとって後の話が理解しやすくなると思うからである。
ナチスがその政策においてユダヤ人に不当な差別を加え、様々な圧迫を加えたことは
紛れもない事実である。
そして、アメリカとの戦争に突入した後、ドイツ本国及びドイツの支配下に置かれた
ヨーロッパ諸国ではユダヤ人に対する圧迫が強まり、ユダヤ人を強制収容所に収容する政策が
全ヨーロッパ的規模で開始された。この点について、従来の説明は大筋で正しい。
しかし、ヒトラー及びナチスの指導部は、収用したユダヤ人達の「絶滅」を計画したことなど
一度もなかった。

ナチス指導部が計画したことは、強制収容所に収容したユダヤ人達を戦後、ソ連領内などの
「東方地域」に強制移住させることであった。

彼らはこのユダヤ人強制移住計画をユダヤ人問題の「最終的解決(Endlösung)」と名付け
東部戦線でソ連を打倒 した後、実行するつもりでいた。

ナチスドイツが、アウシュヴィッツなど、ポーランド領内に建設した強制収容所は
戦後ドイツがソ連を打倒、占領した後に実行する「最終的解決」のためのユダヤ人強制移住計画の
準備施設であった。
すなわち、ナチスドイツは、アウシュヴィッツをはじめとするポーランド領内の収容所に収容した
ユダヤ人達を戦争中は労働力として利用し、戦後、ドイツがソ連に勝利した暁には
ソ連領内ほかの「東方地域」に強制移住させる計画であった。
従って、この計画とは両立し得ない「ユダヤ人絶滅」などをドイツ政府が計画、実行したことは
一度もなかった。
ところが、ソ連戦線でドイツが敗退した結果、「ユダヤ人強制移住計画」は頓挫する。
そして、戦争末期の混乱の結果、ユダヤ人達がいた収容所の衛生状態が悪化し、チフス等の疾病の
爆発的発生が起きた。その結果、多くの罪のないユダヤ人達が収容所内で死亡した。

戦後、それらの収容所で病死したユダヤ人らの死体を撮影した連合軍は
そうした病死者達の死体を「ガス室」の犠牲者であるかのように発表
した。
読者の多くは、こんな話をすぐには信じられないに違いない。当然である。
すぐに信じられる方がどうかしている。私も最初は信じることが出来なかった。
読者と同様、私も物心ついてから、あの恐ろしい「アウシュヴィッツのガス室」について
くりかえし教えられ、聞かされてきた者の一人であって、あるきっかけから真実を知るまでは
「ガス室による大量虐殺」を疑ったことなど、ただの一度もなかったのである。
しかし、ある機会から「ホロコースト」について実は論争が存在することを知った私は
この論争に関する文献を買いまくり、読みまくった後、「ホロコースト」が作り話であるという
確信に至ったのである。
「ホロコースト」に疑問を投じる人々は、自分達のことを
「ホロコースト・リビジョニスト(Holocaust revisionist)」「ホロコースト見直し論者」と呼んでいる。
筆者は、一医師であり歴史学を専攻したわけでは全くないが、六年前(一九八九年)に
ふとした機会に彼らの存在と研究を知り、その後、複数の大学教授に手紙などを書いて
意見を求めてみた。
その結果、有名な国立大学教授を含めた日本の学者たちがそれらホロコースト・リビジョニストたち
の主張を全く論破出来ないことを知り、日本のアカデミズムのあり方に疑問を抱かずには
いられなくなったのである。
また、英字紙マイニチ・デイリー・ニュースの投書欄で一九九三年五月に大論争をやったことがあるが、その時もリビジョニズムの正しさを確信する経験をしている。
気の早い読者は、「ホロコースト・リビジョニスト」達は、「ネオナチ」かそれに似た人間だと
思うかもしれない。
実際、「ネオナチ」の中にも「ホロコースト」の虚構を強調するグループはいる。
だが、「ホロコースト・リビジョニスト」の中には、明らかに反ナチスの立場を取る個人や
ユダヤ人も多数含まれているのであって、「ホロコースト・リビジョニスト」を「ネオナチ」や
「反ユダヤ」などという枠でくくることは余りに事実と懸け離れている。
その反証として最も明らかなものは、最初の「ホロコースト・リビジョニスト」とも呼べる歴史家が
フランスのポール・ラッシニエ(Paul Rassinier)という大学教授で、彼が、戦争中、フランスの
レジスタンス運動に参加して、戦後、そのレジスタンス活動の故にフランス政府から勲章まで
授与された人物だったという事実ではないだろうか?
このラッシニエという学者は、元は地理学者で、左翼思想の持ち主だったため、反ナチスの
レジスタンス運動に参加したのであるが、そのレジスタンス活動の故に
ナチス占領下のフランスでゲシュタポに捕らえられ、強制収容所に入れられたという人物なのである。
(提供:ウィキペディア)
つづく

Amazon


▣ ヒトラーとナチスの捏造と真実

                             ブログランキング・にほんブログ村へ