ポルシェ博士とヒトラーのVW計画 vol







車が大好きだったヒトラー氏
国政で多忙をきわめていた彼は、ストレス発散のためにしょっちゅうドライブにも出かけている。
ちなみに愛車はメルセデス・ベンツ。

彼がベンツを好んだ理由は、一度交通事故に遭ったとき、頑丈につくられた車体のおかげで
無傷ですんだからだった。
それ以来、彼はどこへ行くときもベンツに乗り、1932年の大統領選挙の時には
特別につくらせた青いベンツのオープンカーで遊説した。
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ヒトラー氏はパワフルな車が大好きだったが、貴族的なマイバッハよりも
スーパーチャージャーつきメルセデスを大いに愛用した。
当時、メルセデスのスーパーチャージャーは独特な「メルセデスの悲鳴」と呼ぶ甲高い
耳ざわりな音を発生したが、それをワルキューレ(ワーグナーの楽劇)の悲鳴になぞらえる
人が多かった。
ヒトラーは巨匠ワーグナーをこよなく愛していたので、この甲高い音は
さぞかしお気に入りだったであろうと言われている。
このスーパーチャージャーの設計の主導的人物は、あの有名な天才ポルシェ博士だった。

第1章:ナチス・ドイツの道路交通網の整備
アウトバーンの建設
●ヒトラーが権力を握る前のドイツの「道路行政」は相当遅れていた
26の州のもと約600の市町村に属し管理されていたため、地域によって
不統一な設計や技術的不釣り合いなどが生じていた。
さらに古い都市が多いため(歴史的ばかりでなく美術的な建築物も多いため)、それが障害となって
他の国々と比較しても道路交通網の整備は遅れたものとなっていたのである。

●ドイツの自動車保有台数も他の国々と比較して少なかった
1930年のアメリカとドイツの人口比は2対1だったが、アメリカには2300万台の
自動車があった。ドイツには50万台しかなかった。
この年のイギリスの自動車保有台数は100万台である(人口比はドイツ3、イギリス2)。
※ 1930年代に自動車保有台数はドイツで3倍、イギリスで2倍に増大したが
1938年のイギリスとドイツの保有率の比は依然ドイツが50%少なかった。

●1933年1月ヒトラー氏が政権を獲得するとアウトバーンの建設計画を発表した
「アウトバーン」とは、正式には「ライヒス・アウトバーン(Reichs Autobahn)」といい
ドイツ語で「第三帝国自動車専用道路」を意味する。
アウトバーンの目的は陸上交通網の近代化だが、その裏には機甲部隊をすばやく国内移動させる
という第二次世界大戦を想定した目的も含まれていた。
さらに当時650万人にも及ぶといわれた失業者の救済としての公共事業的意味もあった。
※ 念のために書いておくと、ヒトラー政権発足前から「アウトバーン」の計画はあったが
ナチ党は雇用対策も兼ねた公共事業として整備を強力に推進したのである。
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●計画はすぐに実行
1933年7月、ヒトラー政権は「自動車国道営団」を設立、道路行政を一本化する法律を制定する。
(これ以降ヒトラーは、自動車税の撤廃、国有鉄道にトラック輸送部門の新設などの政策も打ち出し
ナチ党は党内に「国家社会主義自動車隊(NSKK)」を設け、運転技能者育成を始めた)。

●アウトバーンの建設総監を務めたのはフリッツ・トート将軍
非常に有能な土木技術者であった彼は、のちにノーベル賞に対抗するためにヒトラーが創設した
「ドイツ芸術科学国家賞」を受賞する。
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優秀な土木技術者だったフリッツ・トート将軍は「トート機関」(建築や土木の技師団の政府組織)の生みの親で、V1、V2、V3の基地などの軍事施設や「アウトバーン」の設計・建設を担当した。
1940年に初代の軍需大臣に任命されたが1942年2月に飛行機の墜落事故によって
死亡してしまう。(後任はアルベルト・シュペーア)。

●1933年9月23日第1期工事の起工式にはヒトラー氏自らが出向き
国民を貧困から救うアウトバーン事業に総力を注いだ
建設計画では南北に2本、東西に4本を基本路線とし、全長1万4000kmであった。
第二次世界大戦のため、1942年に建設は中止されたが、スタートの1933年から
1942年までの9年間で4800kmを着工し、3900kmを完成させるという
歴史上類のないハイペースで進められていたのだった。
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1933年9月23日、フランクフルトとダルムシュタットを結ぶ第1期工事の
起工式にはヒトラー自らが出向いた。 
アウトバーンは世界で初めての本格的な高速道路ネットワークであった。
ヒトラーは「戦争が終われば、アウトバーンのおかげでドイツ国内の境界がなくなるのと同じように
ヨーロッパ諸国の国境もなくなり、レジャーに不自由しない」と語っていた。
世界に先駆けて高速道路の整備に取り組んだドイツを追いかけるようにアメリカでも
1940年に全長257kmのペンシルバニア・ターンパイクが建設された。
日本での最初の高速道路は、1963年7月16日に開通した「名神高速道路」
(栗東IC~尼崎IC間71.1km)で、アウトバーンからおよそ30年遅れてのことであった。
(提供:ポルシェ博士とヒトラーの「VW計画」)

続く

 ▣ ヒトラーとナチス "捏造と真実"
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