本住吉神社











本住吉神社
は、兵庫県神戸市東灘区にある神社である。旧社格は県社。
底筒男命・中筒男命・表筒男命(住吉三神)および神功皇后(じんぐうこうごう)を主祭神とし
天児屋根命・大山津見命を配祀する。

東灘区渦森台北端の西山谷(住吉川の支流)西岸に奥宮(1970年建立 主神:住吉三神 配神:神功皇后・宗像三女神・厳島大神(宗像三女神と同じ)・オオヤマツミ)がある。

社伝では、日本書紀において、神功皇后の三韓征伐からの帰途に船が進まなくなり
神託により住吉三神を祀ったと記される「大津渟中倉之長峡(おおつのぬなくらのながお)」の地が
当地であり、当社が住吉三神鎮祭の根源であると伝え、そのために古くから「本住吉」と
呼ばれるとしている。「大津渟中倉之長峡」の地は現在の住吉大社であるとする説が有力であるが
当社では住吉大社も当社からの勧請であるとしている。本居宣長も本住吉神社の主張を支持している。

古くから「本住吉」と称してきたが、明治初年の『神社調査明細書』には「住吉神社」と記載された。神社側からの申請により、明治38年(1908年)に「本住吉神社」に復称した。
社殿は1995年の阪神・淡路大震災で大きな被害を受け、現在の社殿はその後復興したものである。
(提供:ウィキペディア)

表向きの由緒・由来
神功皇后が御鎮祭になったと伝えられている。
即ち『日本書紀』巻九に、『「摂政元年」皇后海路よりして京にいでます。
時に皇后忍熊王師を起して待てりと聞しめして、武内宿禰にみことおおせて、皇子を懐きて
横しまに南海より出でて、紀伊の水門に泊らしむ。
皇后のみ船、直に難波を指す。
表筒男・中筒男・底筒男、三柱の神、おしえまつりてのたまわく
「吾が和魂をば大津の淳中倉の長峡に居さしむべし。すなわち因りて往きかよう船をみそなわさん」
とのたまう。是に、「神の教のまにまに鎮めすえまつる。則ち平らかに海を渡ることを得たまう。」』とある。
●天皇家の航海の守護神として祀られた。 
●遣唐使・遣隋使の船は住吉から出た。住吉大社の宮司の津守氏が、出船の儀式を行った。 
●見えないのが神という日本の中にあって、住吉三神は「姿を現す」神として物語に出て来る。 

仲哀天皇が九州の反乱を治めていたとき、神から神託がありました。
「西に金銀財宝の豊かな国がある。そこを服属させて与えよう」
この神託をしたのが住吉三神です。 
神の子を宿した神功皇后は住吉三神の導きのままに朝鮮半島に向かいます。
海の魚が皇后の船を支え、追い風が船を勢いづかせると、そのまま地上に上がり
半島の中頃まで食い込んでしまいます。
それを見た朝鮮半島の王たちは神功皇后の力に驚き、貢物をする約束したといいます。
性格・能力
海上交通の安全だけでなく、漁業の神、貿易・海運・造船・貿易。
神功皇后を一緒に祀ることが多いので縁結び・子授け・軍神としての顔もある。

神功皇后
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Jingu成務天皇40年 - 神功皇后69年4月17日)は、仲哀天皇の皇后。
『日本書紀』では気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)・『古事記』では
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)・大帯比売命(おおたらしひめのみこと)
大足姫命皇后。
父は開化天皇玄孫・息長宿禰王で、母は天日矛(あめのひぼこ)裔・葛城高顙媛。
応神天皇の母であり、この事から聖母(しょうも)とも呼ばれる。
弟に息長日子王、妹に虚空津比売、豊姫あり。
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三韓征伐(馬韓:後の百済・弁韓:後の任那加羅辰韓:後の新羅)を指揮した逸話で知られる。

真の由来
神功皇后らの舟が神戸市東灘区の入り江に入った後に出港できずにいた折
近くの神社の神主に祈祷をさせたが神主の力不足で徒労に終わってしまう
神功皇后は近隣の神社を総動員し身ごもっていた3人の子供を産み落とし神社の人柱に祀り出港した
神功皇后は「なんと住み良い所」と言われ住吉と名付けられた

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所在地 〒658-0053  兵庫県神戸市東灘区住吉宮町7-1-2 MAP
アクセス JR神戸線住吉駅南口より西へ徒歩2分
電話番号 078-851-3746

神戸の超人坂本廣志氏によれば確実に願いが叶う神社No.1という力のある神社であるとのこと
※お礼参りを忘れると痛いしっぺ返し(命の代償も)があるのでくれぐれもお礼参りを忘れずにしたい
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