藤原氏の悪行



律令制度で日本のすべてを私物化した藤原氏

日本に中国に摸した律令制度を取り入れ、国家という形を確立した藤原鎌足藤原不比等
それは既存の日本の勢力とドロドロの戦いのうえになりたっています。
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古代国家は、仏教を積極的に取り入れることで国づくりを推し進めた。 
当然、天皇がその仏教導入の先頭にいたわけで、当時の天皇は神道の保護には積極的ではなかった
だけでなく、その古来の神道のしきたりを持っていた物部氏を排斥すらした。 

様々な信仰をもった地方豪族たちのゆるやかな連合体であった当時の日本を
仏教の力と律令制度の名の下に、一元化をはかろうとした中心に藤原氏がいました。 

出自のよくわからない藤原鎌足が、どうしてこれほどまでに中枢の権力を握ることができたのか
関裕二さんは、鎌足は百済の王:豊璋であったと推論しています。 
そんな馬鹿なと思いつつも、その論拠にはとても説得力があります。 

扶余豊璋
扶余 豊璋(ふよ ほうしょう、生没年不詳)は、百済最後の王である義慈王(641年 - 660年)の王子。
百済王子豊璋



『日本書紀』での表記は扶余豊璋もしくは徐豊璋であるが
『三国史記』では余豊璋もしくは徐豊璋、『旧唐書』では余豊もしくは徐豊である。
また、『日本書紀』にも登場する百済の王族翹岐を豊璋と同一人物とする説もある。
(提供:ウィキペディア)

倭国滞在中、百済本国が唐・新羅に滅ぼされたため、百済を復興すべく帰国した。
しかし、鎌足、不比等にはじまった藤原氏の支配が、歴史の底流をみるといついかなる時代をみても
どの将軍の時代であっても、いかなる天皇の時代であっても、またいかなる政権の時代であっても
脈々と続いていることがわかります。 
(提供:かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き)
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藤原氏は不比等の四人の子の末裔がそれぞれ、南家(藤原武智麻呂)、北家(房前)、式家(宇合)
京家(麻呂)にわかれ、互いに牽制し、覇を競いあいました。
平安時代は、藤原氏内部の権力闘争から始まったと言っていいであろう。
そして北家が勝利を収め、摂関政治がはじまるのである。(関裕二『藤原氏の正体』280頁) 

天皇を操り続け、時の政権をも常に左右する力を持った藤原氏
それは現代につながるトップに責任と権限を与えない官僚制度そのものであるようにも見えます。 

一条、二条家や西園寺家、近衛家などに限らず、地方から自力で這い上がる人びとに
常に立ちはだかる勢力として根深く日本社会に存在し続けています。 

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中臣鎌足は朝鮮人:豊璋
藤原鎌足の肖像紙幣








百済王子豊璋と当時の日本及び朝鮮半島の状況
鎌足についてはよく知られていても、百済王子豊璋についてはよく知らない人もいるかも知れない。
631年に、百済から人質として2人の兄弟王子、豊璋善光が日本へ送られてきていた。
人質といっても、百済と日本は同盟していたので、客分扱いである。
その兄王子の豊璋が鎌足だったのである。

660年、唐・新羅連合軍の攻撃によって百済が滅亡した。
百済最後の王・義慈王は降伏後、死亡し、皇太子孝は行方不明となった。
百済の遺臣は、鬼室福信・黒歯常之らを中心として百済復興の兵をあげ、日本に滞在していた
百済王子豊璋を擁立しようと、同盟国・日本に救援を要請した。天智天皇はこれを承諾した。
豊璋は百済復興のため、約30年ぶりに呼び戻された。
百済国がないのに、ここでいったん豊璋は百済王として推戴された。

663年の白村江の戦いにおける指揮官は、日本軍は阿倍比羅夫、百済遺民軍は豊璋であった。
しかし、日本・百済遺民の連合軍は、唐・新羅連合軍に大敗した。
大敗する直前、部下を騙して自軍を捨ててこっそりと手勢数名だけで抜け出した豊璋は
行方知れずとなったとか、高句麗へ逃げたとか書かれているが、実際には、救援に来た日本の水軍と
合流し、密かに日本へ戻ってきていた。
豊璋は正体を隠すために、天智天皇から藤原鎌足の名をもらって帰化した

一方、豊璋の弟善光は、行方不明になったことになっている兄の代わりに百済の王統を継ぎ
百済の王統を表す、「百済王」という特別な姓氏を受けて日本に帰化した。
また、二人の王子の他、国を失った百済王族たちが、一族配下の数千名(あるいは一万名とも)
を従えて集団で日本へ亡命してきた。
(提供:成長するため、正しい地図を手にしよう)

日本への朝鮮人の乗っ取りは
朱鳥631年の天武天皇時代から始まっていた

実に1,387年間もの長きに渡り鮮害を受けてきたのである
藤原姓にちなむ下記の苗字の一族は朝鮮人の家系である

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