地球史は日本から始まっていた

1世界の "元つ国” 日本
日本の真の歴史を知るには、世界最古の哲学書「カタカムナ文献」
世界最古の歴史書「竹内文書」等の古史古伝を読むことが必要です。
それらを紐解くと日本の歴史はカタカムナ文献でいう「二元性原理」に貫かれているといえます。
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カタカムナ文献で語られる世界が「潜像界(目に見えない世界)」とすると、古史古伝で語られる
世界は「現象界(目に見える世界)」で、宇宙はこの二つの世界で成り立っています。
そして日本の歴史という現象は、「東西」「南北」「表裏」というフラクタル構造(相似象)の
時系列変化で成り立っています。
そういう意味で、戦前まで主流を占めた古事記、日本書紀以降の表面的な史実だけに限定する
「記紀史観」も、戦後の主流を占める"目に見える世界”だけに限定する「マルクス史観」も
正しい歴史の見方ではありません。 

また、神道では、日本列島は上向き下向き二匹の「龍」が重なり合った形をしているとします。
また、台湾まで入れると、世界の五大陸が凝縮された形になっているとも言います(陰陽五行)。
つまり、日本は世界の"元つ国"であり、ひな形なのです。 
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ところで、日本で最も古い文献は「古事記」「日本書紀」とされてきましたが、記紀以前の書として「先代旧事本紀」「竹内文書」「宮下文書」「九鬼文書」「上 記」「安倍文書」「和田家文書」
などがあります。
そこで、以上の古史古伝を中心に、日本の超古代からの究極の歴史とその本質を明らかにします。 

先ず、日本には旧石器時代のものとされる「カタカムナ文献」があり、それによると、超高度な文明が兵庫県の六甲山近辺にあったことが天才物理学者・楢崎皐月博士によって明らかにされています。
ちなみに、日本では世界最古12万年前の旧石器も発見されています

そして、近年の調査では、この兵庫県神崎郡神河町と朝来郡生野町にまたがる八幡山には
空海によって四国・剣山から移置された世界中心の象徴「契約の箱アーク」があると言われ
上森三郎氏ら専門家による探索活動が行われています。
※実際は石の宝殿:生石神社 ※兵庫県高砂市阿弥陀町生石171にある
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また、創建1万5千年の熊本県・日の宮幣立神宮の御神体「日文石板」は、炭素測定の結果約
20〜30万年前のものとされていますが、そこには「豊国文字」で
「ひふみよいむなやこともちろら、ねしきるゆいつわぬそを、はたくめかうおえに
さりへてのますあせゑほけれ」
と記されています。
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この意味は「大量の糸の原料となる真麻欄(まおらん)を採取し、それから取った縷(細い糸)を
紡ぎ、衣料を整え、強い兵士を大量に育成せよ。
そうすれば交戦してくる悪い部族の敵は彼方に退散する。
神様がくださった広大な田畑を心してしっかり耕作せよ」となるとされています。 

さらに、全国約800カ所からは「阿比留草文字」「出雲文字」「秀真文字」「守恒文字」「神山文字」「アイヌ文字」等約54種類のペトログラフ(岩絵文字)が発見されています。
注目に値するのは、海外で見つかったペトログラフが絵画中心なのに対し、日本のものは文字が中心である点です。 

一方、これらペトログラフからは"ムー文明"の記憶が見られます。
まず下関市彦島や角島、北九州にある沖の島、出雲の日ノ御碕沖等に、与那国島海底遺跡と類似する
神殿跡やペトログラフがあることから、西日本を中心にムーの生き残り
「メネフネ族(先住日本人の海人族)」がいたことが推測されます。 

下関市教育委員会と九州大学の調査によると、彦島杉田丘陵のペトログラフには
「遠い世の父母より世に生まれ交わり、子々孫々栄え来たり。地の都となる世の来るまで、敵を倒し
我らを助け、突き進み、世も昼もみそなわす我らが日の神」と書かれていて、これらの痕跡と
ムー文明を結びつける傍証としては、ニュージーランド北方のポナペにある、1万2千年前の
「ナンマドルの海底神殿遺跡」です。
またハワイやイースター島でも古代遺跡が発見されており、上記日本の遺跡と類似している事から
太平洋上に大陸があった事も推測されますが、この点に関しては別項に譲ります。

2神代文字の世界的伝播
ところで、「竹内文書」「宮下文書」「九鬼文書」等によると、太古の昔、天から天之御中主大神が
降臨して国を開き世界を統治し、また日本人から黄人、白人、黒人、赤人、青人ら
世界の「五色人種」が分かれたとされています。 
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実際、スイスの考古学者デニケンが、エクアドルの古代地下都市跡で日本の縄文土器と
「アンデスの黄金版」を発見、これを出雲文字で解読した結果
「マヤやインカ文明を作ったのは、日本の古代海洋民である」と公表しています。 

一方、インド、エジプト、南米、アフリカなどの古代遺跡で、日本の神代文字を発見している
日本学術探検協会の高橋良典氏によると、豊国文字とハングルの類似性から
「古代朝鮮も日本と同じ文字を使用しており、少なくとも約6000年以前から日本にあった
豊国文字を参考にして作った」と指摘しています。

さらに、約2000年前に書かれた中国の「契丹古伝」によると
「漢字以前の文字を天字といい天字以前をト字、ト字というのは殷字であり殷は元これ倭国(日本)」とあります。
「アジア」とは、古日本語の「アジナ」が訛ったもので、「アジナ」とは"分家"を意味し
当時、ユーラシア最大の領土を占めた支那(シナ)を意識していたものと言われています。 
※本稿では中国の呼称を「支那」としますが、これは、はじめての統一王朝を作った「秦」に由来し
英語のChina(チャイナ)に相当する正式な呼称だと判断したからです。 

さらに、キリストが日本で習得し故国に持ち帰ったのが「イスキリ文字」、釈迦が持ち帰ったのが
「梵字」そして「サンスクリット語」となり、これらがローマ字になったといわれています。

3大和朝以前の先行王朝と神武以前の"古天皇"
先述のペトログラフや古史古伝によると、大和朝と神武天皇以前にも先行王朝や
スメラミコト(古天皇)がいたことが記されています。
これを神々と王朝、天皇の関係で整理すると、"元無極躰主(母止津和太良世)"に始まる
「造化準備時代」、"天津身光"に始まる「造化時代」、"天之御中主"に始まる「修理個成時代(白山王朝)」、"国常立"に始まる「万国統治時代(富士王朝)」、"饒速日命"に始まる「鵜芽葺不合朝」
"天照"に始まる「神倭(大和)朝」となります。 
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但し、スメラミコトが「天皇」と記されているのは、初代・天之御中主天皇、高木天皇(高御産巣日神)、天地明玉主照天皇、国之常立男天皇、大斗能地王天皇、大綱手彦天皇、弥広殿造天皇
造化氣万男身光天皇、富金足中置天皇、神心伝物部建天皇、伊邪那岐天皇
天疎日向津比売天皇などです。

ちなみに、「スメラミコト」は元々シュメール語で「シュメールの王」
即ち"スサダミコ(スサノオ)"を意味します。
また「スサノオ」の息子が「饒速日命(ニギハヤヒ)」、義理の息子(末娘の夫)が「大国主」
そして、妻が九州の地方豪族「倭国(安曇氏)」の「卑弥呼(後の天照)」となります。 

まず、神々が降臨し天皇として姿を現した「修理固成時代」の「白山王朝」ですが、竹内文書など
によると、国名を「天之越根中津国」といい、富山県婦負郡久郷村御皇城山に歴代の皇祖皇大神宮が
置かれていたそうです。スメラミコトのスメラは「皇」ですが、「白」と「王」からなっています。 

そこでは、おびただしい神代資料が発見され、とくに酒井勝軍によって発見、翻訳された
神足別豊耡天皇からモーゼに与えられたという表裏二つの「モーゼの十戒石」の写し石は
刮目すべきです。
裏十戒石には、宗教、国家、人種を越え、天下万民が遵守すべき律法が書かれています。 

ちなみに、聖書では、モーゼはシナイ山で十戒を授かったといわれていますが、竹内文書では
アカバ湾から船に乗って来日し、皇祖皇大神宮で41日間修行をし、石川県の宝達山で天皇から
十戒を賜り帰国、ユダヤ民衆に与えたとあります。
つまり、ユダヤ教の発祥地は日本の「高天原」ということです。

次に、豊後国の大守だった大伴能直が「山窩(サンカ)」の伝承を記録した「上記(うえつふみ)」
によると、「鵜芽葺不合王朝の第二十五代、二十六代天皇は、皇子たちを世界に派遣し文字を伝えた。富金足中置天皇は一万五千四百八十五年前に、四百六十年間に渡って治世した」と有り
これらは、大分県国東半島で発見された巨石上のペトログラフ「豊国文字」にも記録されています。 

また、秦の始皇帝が不死の薬を求めて日本に派遣した物部系古代ユダヤ人徐福が、富士山麓で書き残した「宮下文書」をもとに、三輪義煕が編纂した「神皇記」によると神武以前に先行王朝が三つあり
初めは富士山麓にあった1:富士高天原王朝で「大陸から九州方面に大軍が押し寄せて来たため
附地見島(九州)に海佐知毘古を元帥として送り、海軍を編成、王朝も阿蘇切枝間に移し
千五百日目に全島の鎮圧を完了した=2:阿蘇豊国王朝」とあります。 

4緩やかな連合国家「鵜芽葺不合王朝」
その後、近畿地方で長髄彦(ナガスネヒコ)が反乱を起こしたため、日高佐野王が海路から久真野に
上陸、湯野崎水門近くの二高の宮を行宮として賊軍を討ち、大和国橿原宮で即位
3:鵜芽葺不合王朝が始まった、と記述されています。 

が、この点に関して「記紀」によると、長髄彦と戦ったのは「磐余彦(神武天皇…神倭朝=大和朝)」であり、一方、「神皇記」のいう「日高佐野王」は"日高"とあることから「富士王朝」ないし
「日高見王朝」の天皇である可能性が高く、また日高佐野王=神武天皇とすると、不合王朝初代天皇となって矛盾します。
そこで、「白山王朝」→「富士王朝」→「不合王朝」→「神倭朝(大和朝)」という流れから考えると、富士山の爆発で阿祖山大神宮(富士王朝)は一旦崩壊した後、関東に都を移し
「日高見王朝(後の東日本"日之本王朝")」を建てたと考えられます。 

実際、他の文書によると「不合朝」傘下には、北から「荒覇覇吐国」「日高国」「蔵王国」「飛騨国」「熊野国」「吉備国」「出雲国」「不弥国」「投馬国」「伊都国」「奴国」「熊襲国」などがあり
緩やかな連合体を形成していたが、最終的に「神倭(大和)朝」に統一されたとされています。
だとすれば、次に問題となるのは、「神倭朝」の前の「不合王朝」の中心はどのような部族だったか
という点です。
結論から言えば、島嶼国である日本人の50%を占める海人族(海洋民族"港川原人")を中心にした
ものだったのではないか、ということです。

5太古の歴史とユダヤ人(原初日本人)の出戻り
ところで、太古の地球の歴史を紐解くと、「ノアの大洪水」などの大きな地殻変動が起こり
人々の大移動が行われたようです。
この事は竹内文書等の古史古伝の他に「聖書」、シュメールの「ギルガメシュ叙述詩」
インドの「マハーバラータ」にも記されています。
 
更に地球が氷河期に入ったことで、食糧難に喘ぐ日本列島に居住していた原初日本人の多くは
食料を求めて世界各地に移動して行ったと推測されます。
例えば、太平洋を海流に乗って島伝いに東に移動したのが「クル族」、ユーラシア大陸を西に進んだ
のが「カラ族」です。

実際、日本人が東に移動した痕跡が見つかっています。
日本ペトログラフ協会の吉田信啓氏によると、熊本県芦北地方には曽畑式水人がいて、約6500年前、北海道から沖縄に至るまで生活の痕跡を残しており
さらにベーリング海を渡って北米にも生活圏を拡大した可能性が高いと指摘しています。

この説は、米国ブロンスウィック大学のレ・クイナー教授も唱えており
「アメリカインディアンが日本人と同じ習俗、語彙、顔を持つ事から、彼らの多くは太平洋の
西からきたモンゴロイド海洋民族である」
と主張。
これには、スミソニアン博物館やハワイ大学等も同様の見解を発表しています。

一方ユーラシア大陸を西に移動した「カラ族」は、現在のエジプトやパレスチナにまで達しました。
当時のユーラシアの真ん中にはカスピ海のような大海があり、また現在の華中、華南地域はほとんど
湿地帯で、華北以北も寒冷地化したいたため居住に適しさなかったと考えられています。 

ところが、西ヨーロッパを起点に東へ展開してきた「アーリア人」が次第に勢力を増してきて
カラ族と衝突、多くの戦いを経て、カラ族はメソポタミア(シュメール)インダスと都を遷しながら
東に移動し、最終的には日本を拠点にした「東大国(ティルムン)」を作ったことが
中国の古文書「契丹古伝」に記されています。 

ともあれ、カラ族が最後に到達したのが"伝説の故郷”日本で、この中には物部氏(山窩…サンカ)
海部氏(海窩)、安部(安倍)氏、忌部氏、斎部氏、乙部氏、綾部氏、卜部氏、蘇我氏
秦(羽田、羽田野、畑中、川端)氏
ら古代ユダヤ十支族も含まれていました。
つまり、彼らの渡来は日本への"出戻り”だったのです。 

彼らの"帰国"は、縄文時代から弥生時代、古墳時代にかけて、"さみだれ式"に行われたようです。
が、大きくわけて、大陸方面を南下してきた「前期出戻り組」の物部氏(山渡人)、ペルシャ
南アジア、東南アジアを海伝いにやってきた海部氏(海渡人)らと、「後期出戻り組」の蘇我氏
秦氏の二グループに整理できます。

このうち、「前期出戻り組」は、「日本列島居残り先住民」の海人族(安曇氏)アイヌ族(阿蘇部)とは穏やかに合流を果たしたようです。
「聖櫃アーク」や伊勢神宮、熱田神宮に保管されていると言われる
「ユダヤ三種の神器」が日本の「三種の神器」と対になっており同族である証
として示されたからと考えられます。
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なお、古代日本と古代ユダヤとの関係を示す傍証としては、例えば、仁徳天皇陵等の古墳は
古代ユダヤ三種の神器の「マナの壺」の形をしており、丸い部分が女性性、角い部分が男性性を表し
両者で男女という"二元性の融合"を表している
と言われています。 
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また、伊雑の宮にはキリストの罪状板が安置され伊勢神宮の内宮の下ではキリストの血が付いた
「聖十字架」
も発見されています。
伊勢神宮で先祖代々宮大工をしている人の話では、西宮市に「萬谷」という明治天皇の御落胤がいて
知人(中野学校出身特務将校)と共に神殿に入って確認したそうです。
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キリストの罪状板

そのほか、エルサレム宮殿の門には「十六菊花紋」が、一方、青森県の三内丸山遺跡からは
「六芒星(ダビデの星)」が、同じく青森県新郷村(旧戸来村…ヘブライ村)には
キリストの墓
があります。
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遺伝子的にも、日本人の45%に見られ、中韓人には見られない「Y染色体ハブロD系遺伝子」は
世界中に分散した古代ユダヤ10支族とその末裔のチベット人や中南米のインディオなどに見られる
E系統と同類であることが証明されています。
だとすれば、大和先行王朝だった「鵜芽葺不合朝」の中心部族は物部系だったと考えられます。 

6ピラミッド(日来神宮)は日本が発祥地
ところで、世界的なフランスの考古学者J・ヴァレーン博士は、エジプトのピラミッドを研究
興味深い見解を発表しています。
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「この建造物は、地球上の大聖者が他の進化した天体の神々と交信するための場、つまり
地球よりも遥かに進歩した神人と人類を救済するために地球に降臨した天孫族をつなぐ神殿である」。
さらに、東方に向かって座するスフィンクスの左足の下を掘り下げ、石碑を発見。
そこには「光は東方より来る。東方の一小国より、全人類の滅亡を救う大救世主が現れる」との
記された碑文を発見,解読しました。

竹内文書でも、「3月16日、吉備津根本国に詔す。大綱手彦(鵜芽葺不合王朝12代弥広殿作天皇)
天皇霊廟、亦名メシア、日の神、月の神、造主神、日来神宮」とあるが、この「日来神宮」が
世界最古のピラミッドを指すとされています。 

そして実際、青森の黒又山、岩手の五葉山、富山の尖山、長野の皆神山、京都の日室ヶ獄、徳島の剣山など、聖地とされる兵庫県の八幡山を中心に16等分、つまり、16菊花紋の角度で分割された方向にピラミッドが存在しています。 
同じく竹内文書によると「上古第二代・造化氣万男身光(つくりのしきよろずおみひかる)天皇の時
15人の息子と1人の皇女を16の国に遣わし、日本を中心にした16放射の形を作って定め
天皇の十六菊花紋とした」
とあります。 
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ちなみに、「十六菊花紋」は、バビロンのイシュタル門、スペインのアルハンブラ宮殿
アッシリアのニムルド遺跡の石像、古代エジプトのラムセス二世の妻の胸像、同じく古代エジプトの
プスセンネス一世のミイラが履いていたサンダル、ツタンカーメン王のサンダル、アフリカ西部
ペナンの古代石板、マヤ遺跡の石像、エルサレムの嘆きの壁にあるメシア草など、多くの古代遺跡
遺物にも刻まれています。 

7関東「日之本王朝」
さて、先ほど、「磐余彦(神武天皇)」と長髄彦が大和で戦ったと述べましたが、「記紀」によると
長髄彦は戦いに強く、神武の三人の兄を倒した後、「饒速日(ニギハヤヒ)」の裏切りで殺された
とされています。が、饒速日は物部氏の祖神であり、実在性は低いと考えられます。
その後も長髄彦尊は生き続け、大和国(邪馬台国)を放棄した後「日高見国」に移り、関東を拠点にした「日本王朝」を成立させます。
支那の唐代の古文書「旧唐書」によると、「倭国と日本国は別の国」とあり、当時、日本には
「倭国(大和朝)」とは別の王朝があったことを記しています。

ただその後、「和田家文書(東日流外三郡誌)」によると、「日之本王国」は内部分裂から
大和朝の分断工作と侵攻を受け、一部は大和朝の傘下に(内物部)、長髄彦らは東北地方、さらには
津軽地方に逃れ、「荒覇覇吐王国」に合流、後の「安倍(安東)王国」の土台を作ります(外物部)。
ここにいう「安倍(安東)王国」は、その後も続いた大和朝との戦いの末の懐柔策として授けられた「安倍」姓が元になっており、最終的には安倍一族の一部は大和朝廷の中にも入り、安倍晴明
そして肥前国(水軍松浦党)、長門国へと落ちた安倍季任(安倍総理の祖先)に至ります。
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8キリスト・モーセ・神武天皇
青森県の戸来(ヘライ)村にはキリストと弟・イスキリの墓が現存しています。
竹内文書によると、キリストは18歳のとき来日、皇祖皇太神宮の神主・武雄心親王から5年間
歴史や天文学、神業などを学び、狭野尊天日嗣天皇から「向こうで死んではならぬぞよ」との命を受けエルサレムに戻りましたが、迫害に会い再び青森に来日、118歳まで生きたと書かれています。
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一方、モーセですが、神武天皇の正式名称は「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラミコト」ですが
ヘブライ語では「カム・ヤマトウ・イブリ・ベコ・シュメロン・マクト」と発音し、意味は
十支族の一つのエフライム族の王=サマリアの王です。 
ヘブライ語の「モー・シェ」は、エジプト語では反対に読み「セ・モー」→「ゼ・モー」
「ジ・ムー(ムー人)」ジンム」と転訛したものと、イスラエルのユダヤ民族研究家
ヨセフ・アイデルバーグ博士やアビグドール・シャハン博士が指摘しています。 
※スサノオ・モーセそれぞれの子孫の子供が神武天皇です
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モーゼは日本に帰国し理想の国づくりを目指しました。 ※諏訪大社
このため、モーゼは物部系でしたがつつがなく先住海人族と合流し、また、天孫族(蘇我氏、秦氏)
が中心になった大和朝においても、"共通の偉人"として尊崇の対象になったと考えられます。
支那共産党と国民党の双方から崇められる孫文のような位置づけです。 
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釈迦は、皇祖皇大神宮で天之越根尊より指導を受け、インドに戻り仏教を説いたが
52歳で涅槃に入るとみせて日本に再度来日、天寿を全うしたといいます。
釈迦の墓は青森県の梵珠山にあり、実際、古くから不思議な発光現象の目撃談が伝わっています。

9欠史八代と秦氏
なお、第二代・綏靖天皇から第九代・開化天皇までの「欠史八代」については、物部系海人族による
政権が続いており、後に主流を占める「騎馬民族秦氏系北朝皇統」からは"都合が悪い"として
詳細を封印されます。

この物部系海人族による政権の中心は「出雲系」と「邪馬台系」でしたが記紀によると
「国譲り」によって「大和王朝」として平和的に統合されます。
が、後に古代ユダヤ教の"牛の生贄"を神事とした物部氏は、後から帰国した殺生を禁じる仏教を
重視する「蘇我氏」と対立、抗争になります。

その結果、物部氏は破れ一部は各地に離散、「山窩(サンカ)」となり"田布施"などに隠れ住みました(外物部)。同和地区に精肉業や皮革製品業が多い所以です。
一方、一部は大和朝廷内で残り(内物部)、海人族"大海人"皇子(天武天皇)が勝利した天下分け目の「壬申の乱」で復権します。これが後の「海人系南朝皇統」の始まりです。 

なお、大海人皇子(天武天皇)が海人族だったという事実は、「壬申の乱」の際、拠点だった吉野で
海人族(熊野族)から黄金での資金援助を受け、伊勢、尾張、美濃などへ迂回しながら東国から
軍勢を集めたこと、天武天皇以降、正式な国名を「日本」にしたこと等から窺えます。

一方、秦氏ですが、日本では第15代応神天皇のとき、最後の古代ユダヤ十支族として渡来(帰国)
します。
この秦氏については、「騎馬民族説」の発端となった一族ですが、秦始皇帝の末裔と言われている
スキタイ+アーリア系の古代ユダヤ人で、秦朝滅亡後は現在のウイグル近辺に「弓月」と言う国を
作っていました。
が、朝鮮の「好太王碑碑文」によると、漢から万里の長城造営などの苦役を強いられたため
朝鮮半島に逃れ「秦韓」を建国。
が、その後,大和朝による半島で の"奉迎工作"で派遣された孝元天皇の皇子・彦太尊などの
縄文海人族と民族的に交雑、数代後のホムダワケが「応神天皇」として迎えられます。
が、その勢力拡大の一方で、先行渡来していた蘇我、物部系先住日本人との間で覇権争いが起こり
秦氏系の中大兄皇子(天智天皇)と藤原氏(中臣鎌足)による蘇我氏追い落としが行われます
(乙巳の変=大化の改新)。

ちなみに、藤原氏ですが、そのルーツは朝鮮半島(騎馬民族系)の朝鮮人です。
※中臣鎌足=百済王・豊章
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10「二元性原理」に貫かれた日本の歴史
以上みてきたように、日本の古代史は大きくみて「海人族系(居残り先住民)」と
「騎馬民族系(出戻り日本人)」+「中国・朝鮮人」の対立構造になっています。
そしてこの構造は「壬申の乱」を経て「平清盛と藤原家の抗争」「源平合戦」「南北朝対立」
さらには時代を経た「明治維新の真相」にも繋がっています。

以上、大まかな日本の歴史について述べてきましたが、「東西(日之本王朝と大和王朝)の天皇」
「南北の天皇」、「表裏の天皇」
の存在などの二元的対立と統合の繰り返しに現れているように
世界最古の宇宙哲学書といわれる「カタカムナ文献」でいう
"宇宙の二元性の原理(フラクタル宇宙論)"が顕現した結果だったのです。

参照:「世界文明の起源は日本だった(上森三郎)」「超古代、最先端文明は日本だった(吉田信啓)」「日本とユダヤ運命の遺伝子(久保有政)」「日本、日本民族の起源(小谷部全一郎)」「キリストは日本で死んだ(山根キク)」「謎の竹内文書(佐治芳彦)」「謎の九神文書(佐治芳彦)」「超真相・東日流外三郡誌(佐治芳彦)」「富士王朝の謎と宮下文書(伊集院卿)」「日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義(落合莞爾)」「天皇とワンワールド(落合莞爾)」等。
(提供:誰も語れなかった驚愕の日本史)
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カテゴリ: 
日本・日本史・侍・大和魂・大和撫子
カテゴリ: 日本史上の歴史人物

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